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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#69

14 脱隊騒動(4)

 やっと湯田の井上の屋敷に入ると、母上が待っていた。
「只今戻りました」
「母上、起きていて大丈夫なのですか」
「この家を取り仕切るものがいなくては、と戻ってきたのですから。やるべきことがあるというのはありがたいこと」
「母上がそうおっしゃるのなら、僕は何も申しませぬ。その赤子は」
「光遠の忘れ形見じゃ。勇吉と名付けた」
「兄上のお子ですと。それにしても勇吉とは僕の幼名ではありませぬか。そろそろけじめもつけませぬと」
「そう、この家のこと、いい加減取り決めにゃあいけん」
「たしかにそうじゃ、兄上の後は幾太郎が家督を相続するのが普通だが。母上が病がちゆえ心配なのです」
「私がここで子らの後見をするのは無理があるとな」
「幸い児玉の家から幾太郎を養子に欲しいと申し出を受けております」
「そうか、それを認めるのも仕方がないの」
「厚子が祐三郎を養子にしたいとも申しておる。勝之助は分家しておる、僕の跡取りとしてもよろしいかと。勇吉についても考えねばなりませんな。兄上のこの本家は絶家として、僕がこの家を継ぐのが現実的じゃないかと思うんじゃが」
「そなたがそう申すのなら仕方のないこと。任せます」
「母上には勝之助と勇吉の面倒はお任せせねば。落ち着いたらまた大阪で暮らすことも考えていただきたい」
 聞多はそう言うと、自分の部屋に入っていった。しっかりとした藩政府の改革案を作らねば、けじめをつけることができない。そうやって作られた文章には聞多なりの決心も含まれていた。
 兵たちの減員と士族の収入確保のため産業を起こすこと、財政民政の合一、会計事務を整理して歳出入の公表及び藩庁官吏の削減、人民の自由の権を束縛せざること等をしたためた。まだ色々考慮することをがあると説明の文書も作成しようとしていた。
 そんなとき、事態の収束を知った政府から帰任命令が届いた。まず己のやるべきことをやってからだ。そうでないと戻ることはできないと考えていた聞多は、改革案とその解説を作成して木戸に送った。思うことは色々あったが、聞多は大阪に帰った。
 大阪では造幣寮の建設が色々と困難な事態が起きていた。建築中の建物が火災にあった後、再建のための資材も運搬船の沈没にあい、また中断された。香港にちょうどよい資材があることをグラバーから聞き、無事手配が済んでほっとしたということもあった。混乱が続くようであったら、長崎の製鉄所に発注するのも手ではないかと考えていた。
 東京では、大蔵民部省を巡って大隈の処遇を含めて、木戸の周辺で混乱が生じていた。そのような中、鉄道敷設の資金のことや偽札のことで伊藤博文が大阪に来ていた。
「聞多、久しぶりじゃ」
「なんか大きくなったの」
「僕のことはええんじゃ。木戸さんから聞いた。山口のこと済んでよかった」
「済んでよかったか。わしにはそう思えん。たくさんの兵は処罰を受けたが、首謀者と見られる連中は生き延びてどこかに潜んでおる。しかもなかなか捕まえることもできんでおる」
「木戸さんも広沢さんもそのことは気にして、九州の各藩に追捕を命じている。捕まえられるさ」
「そうじゃろうか」
「聞多には話しておかなくていけんことが他にもあるんじゃ」
「俊輔も冴えんの」
「大隈の参議就任もうまく進んどらん。急速な変革や大蔵のやり方に反対する人も多くいて、広沢さんも反対しているとか。その上大蔵省と民部省のあり方に反感が生まれているんだ。一体でやっているから歯止めが効かんと。それで、大蔵省と民部省は分離することになりそうだと、木戸さんから文が来た」
博文の話を聞いて聞多は怒りを顕にした。
「どうしてそうなる。金がなくては何もできんから知恵を絞っておる。無駄に使うことが無いよう一致して当たるため、財政と民政の合一が必要だというのに。大隈は財政のわかる貴重な人材じゃないか。財務のわからん副島だの大木だのはどうでもええんじゃ。そもそも木戸さんだって、支えることができんとは」
「僕たちの心情をうまく伝えておかなくては後悔しそうだ」
「そうじゃ、俊輔。用事はいつ終わるんか」
「あぁ、明日にでも終わる」
「ならば、明後日にもわしらもともに東京に押しかけるかの」
「わしらって」
「大阪に居る連中じゃ。井上勝や鳥尾小弥太とかじゃ」
「それは面白いかもしれないね」
「どうせあちらも辞表ちらつかせたのじゃろ。こちらも押せるところ押して見るんじゃ」

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