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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#36

8 内訌(2)

 仲間たちとの意見交換や会議の後の片づけに報告文書の作成など、いろいろ雑用も含めて終わらせて帰ろうとするとかなり遅くなっていた。
 もう夜も更けつつあるころ、聞多は従者の淺吉とともに藩庁を出た。湯田に近づいてきたところで、暗闇の中不意に声をかけられた。

「聞多さんですか」

 どこか聞いたことがある声だなと思った聞多は「そうじゃ」と答えた。すると、後ろから両足首をつかまれ引き倒された。同時に背中を切りつけられた。少し前を歩いていた淺吉の提灯を切るものもあって、あかりというものもなくなった。淺吉は主人の危機に助けを求めるため、もう近くのはずの井上の家に走っていった。

 聞多は衝撃と痛みで手をつくことがいっぱいだった。
 とりあえず立ち上がり、刀を抜こうとするが太刀の柄が手に当たらない。脇差を抜こうと手にかけたとき、相手の刀が顔に当たった。あまりの痛さに声が出かかるが、必死にこらえて何とか刀を抜いた。
 しかし相手は複数いた。後ろからの気配にも気が付くもできることは限られている。背中に再び痛みが走ったとともに違う鈍い響きがした。太刀が背中に回って相手の刀を途中で止めたらしい。

 だんだん足が感覚をなくしてきて、立ち続けることができなくなり、今度はひっくり返った。
 するとそれを狙ったように心臓のあたりに刀を感じた。しかしゴーンという振動とともに相手の刀が外れた。もう動くことが無理だと思った聞多は、相手から逃れるために道から外れるように転がっていくしかできなかった。

 そこで気を失っていたようだった。
 斬り手達は聞多を見失い、もう潮時と立ち去って行った。

 意識を取り戻し、転がった溝のようなところから、残った刀の鞘を杖に、遠くに見えた光に向かい体を引きずって進んでいった。冷えていく体をどうにかあかりの見える家までもっていくと、倒れこんでしまった。
 その家の者が物音にびっくりして飛び出して、聞多を見つけた。血と泥にまみれた人物が、井上の若様だとわかると戸に乗せて屋敷まで運んでいった。
 
 淺吉の知らせで家を飛び出した聞多の兄は、襲撃された場所までくると、淺吉とともに聞多を探したが見つからなかった。落ちていた脇差を拾い、あきらめて家に戻ると聞多が戸に乗せられて転がっていた。
 すでに母が医者を呼びに行かせたようで、医者が駆けつけていた。呼ばれた医者は切り刻まれたような聞多を前に、どこから何を手を付けるのかわからなくただ立っているだけだった。

 そんな時、約束の時間になっても現れないのを心配した、襲撃部隊にいた同志が井上の屋敷にやってきた。皆聞多の様子を見て茫然とするしかなかった。
 聞多ももう死ぬしかないのかとあきらめていたようで、とりあえず動いた手を首にあて、介錯をという動きをした。それをみた兄は刀を抜こうとした。母がその姿に反応して聞多の前に飛び出していた。
「まだ息のある弟をそなたは切れるのか。そんなことをするくらいなら私を切ってからじゃ」
 泣き崩れながら叫んだ。

 もう我慢できないといった風な、所と言う浪士が「そこの先生何をしている」と怒鳴りつけた。
「何もできないのなら、手伝え」
「母上、焼酎、晒と針と糸をすぐ持ってきてください」

 持ってきた針を見て、所はこれではと考え出してしまった。周りを見ると、畳替えの作業の跡がそのままになっていた。そこにあった針を見つけて周りの人たちに向けて言った。

「これで大丈夫です。傷に焼酎をかけてください。先生たちは傷を縫ったところを晒で巻いていってください。母上様は聞多さんを支えてください。ものすごく痛がるはずです」

 着物を脱がせようとすると、懐から何かが落ちていった。所が拾うとそれは小さな手鏡だった。手鏡にははっきりと穴のような凹みが出来ていて、刀を受けたことが見て取れた。

「聞多さんには強運がある。できることをやって天に任せるのみだ」
 所は次々と周りの者たちに指示を出していった。最後に聞多の耳元で言った。
「母上が君の治療を乞われた。何分準備もなく難しいことばかりで、痛いかもしれぬが耐えてくれ。母上が君を支えてくれている。いいな」

 かなりの出血で意識がもうろうとしていたため、聞多はあまりいたがらなかったが、どうにか支えながら傷口を縫い合わせていった。一番痛がったのは顔の傷だったが、暴れる力もなく無事縫い終わることができた。

「できることはやりました。あとは聞多さんの力が頼りです。水分は少しずつ与えてください。急にたくさんはだめです。後は先生お願いします」
 そう言って所は土間から上がり転がって寝てしまった。

 処置が終わり全身を晒で巻かれた聞多は自分の部屋に運ばれていった。母と兄はどうにか一命をとりとめたということを実感した。ひとまず安心と、見届けた人たちも帰っていった。
 一寝入りした所は聞多の様子を見に行った。まだ寝ていたが、手を握ると反応しその手の温かさに安心していた。帰り際に母と兄に聞多さんは大丈夫ですと言って出て行った。

 聞多が斬られたその夜、周布が自刃していた。病を得ていたからともいわれたが、これで武備恭順派で状況を動かすことのできる人がいなくなってしまった。そうして、保守派の只管恭順が藩論となった。

 萩にいた高杉に井上聞多が斬られたという話が伝わっていた。周りの様子からして、武備恭順派への取り締まりが、厳しくなってきたことに気が付いていた。ここにいてはたぶん捕まって、獄に入れられると思った高杉は、下関に行って身を隠そうと思った。

 その前に山口に行き、聞多の様子を見ておかなくてはと動き出した。いわゆる武士の服装から変装して、農民のフリをして家を出た。そのためすれ違う人に気づかれずに、どうにか湯田の聞多の家にたどり着いた。出入りする人から聞多が生きていることに気が付いた保守派が、見張りをしているだろうと思ったので高杉は夜まで待った。

 夜になり、聞多を訪ねると、まだ晒を全身に巻き付けられた状態で寝ていた。思わず手を握り、生きていることを確認した。思ったより力強く握り返されて、聞多の顔を覗き込んだ。目を開けて高杉を見ていた。握っていた手を放して、聞多は逃げろとかすかな声を出した。
 意識がはっきりしていたのはそこまでだった。また目を閉じて寝てしまった。あまり長居をするのは自分にも聞多にも悪いと思った晋作はひとまず家を後にした。

 宿についた晋作は、聞多の様子を思い出して一人怒りを覚えていた。
「あんなに気をつけろって言ったじゃないか。大丈夫って何だったんだ。いや一人にした僕が悪いのか」

 晋作はここを去る前にと、もう一度聞多に会いに行った。朝日を浴びて暖かくなって少しは楽になっていたようだった。晋作が詩を口ずさむとそれを聞いた聞多が返答してきた。予想していなかった状態に、いくつか声をかけてしまった。それにも聞多は答えて、晋作は聞多は大丈夫だと思えた。
「君の様子に少しは安心した。僕はこれから下関に行って、もしかしたらもう少し遠くに行って、身を隠すことにする。戻ってきたときには元気に動けるようになっていてくれよ」
 その声にうなずいているように見えた。まだ話したそうだったが、声にならず聞き取ることができなかった。再会を約束して晋作は出ていった。

 そのあと下関にいても、奇兵隊の支援が受けられないことがわかった晋作は、福岡の攘夷討幕派なら味方になれるという話を聞いて、行ってみようということになった。

 また一方の俊輔は四か国との交渉を終えて三田尻についていた。そこで、聞多の噂を聞いた。やりたい放題をやったので、天誅が下ったのだというものだった。生死については死んだというものも、生きているというものもあった。

 もう矢も楯もたまらず、復命を受ける手続きも終わらないまま走り出していた。少しでも早く山口に湯田に行かなくては。そのことしか頭になかった。疲れて足を止めると、聞多はだめじゃないのかという声が頭を駆け巡る。その声を消すためにも走り続けるしかなかった。ほこりにまみれたまま俊輔は聞多に会いに行った。
 やはりまだ晒を全身に巻いたまま聞多が寝ていた。俊輔は駆け寄ると顔を眺めて泣き出していた。その涙が聞多の顔に落ちて、聞多が目を開けた。

「俊輔、来たのか」
「聞多…」
「晋作に来るなと言ったつもりだったのに」
「……」
「早く去れ」
「そんな」
「ここは危ない」
「でも、僕は…」
「いいから、寺にいる力士隊を連れて行け」
 ここまで言うと聞多はまた目を閉じてしまった。俊輔は聞多の手を握るしかできなかった。
「わかった。力士隊を借りる。下関で様子を見ることにする。聞多も早く治してくれ」
 俊輔にはそれが精一杯の言葉だった。それだけ言い残して、下関に向かって出ることにした。

 下関につくと俊輔は、何回か通ってなじみになっていた、芸者お梅のもとに転がり込んだ。ここは花街向けの商売もしていて、情報を得るにも身を隠すにもよさそうだった。力士隊の面倒を見ることもお願いをしてみたら好反応で助かった。

 保守派は椋梨を筆頭に政庁を牛耳っていった。謹慎として藩主敬親、世子定広を寺に押し込めた。その上武備派の政務役などお役についている者たちを罷免して野山獄に入れた。
 そして討伐のため芸州に来た公儀と談判に応じ、禁門の変の指導者として三人の家老に切腹を命じ、五人の参謀を斬首にした。その首を公儀の首実検にもっていきさらしていた。

 この話は福岡に行っていた晋作にも伝わっていた。福岡で思うような行動ができなかった晋作は、逃げた事になるのではと後悔をした。こうなったからにはと、覚悟を持って下関に帰ることにした。




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