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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#75

16廃藩置県(1)

  内々には決まっていた聞多の大蔵少輔への就任だったが、思わぬところから拒絶されるところだった。大久保利通が、聞多が造幣寮の仕事を嫌になったので、転任を希望したと思っていたらしい。そんな誤解も解けて、博文の米国渡航に合わせて聞多は上京することになった。武子も一時的に大阪に呼び、山口の母を迎えに行くことにした。
「武さん、これも新婚旅行っちゅうものかの」
「初めて二人きりということになりましたね」
「大隈の屋敷じゃ人が多すぎじゃ」
「でも、楽しゅうございました」
武子の笑い顔に、聞多は見とれていた。
「それでの、わしは今度の東京行きに合わせて名乗りを変えよう思うんじゃ」
「それは、どのように」
「馨じゃ。井上馨」
名前を書き付けた紙を武子に見せた。
「ずいぶん画数の多い文字ですな。『かおり』というだけではないのでございましょう」
「良い評判や感化という意味もある。何かを変えたいのじゃ。まだ曖昧なままじゃが」
「良き名でございます。名前に負けぬようなされませ」
「武さんは厳しいの」
聞多は苦笑いをした。しかし武子のこの気性が支えになることは、間違いのないことに思えた。
山口の湯田の屋敷につくと、聞多の姉妹が待っていて、久々に一家が揃った。
宴の準備も整っていたので、まず席についた。
「これは皆が揃ってなど珍しいことじゃ。妻の武子を連れて参った」
聞多が挨拶をすると、武子も応えた。
「はじめまして、武子と申します。ふつつかものですがよろしくお願いいたします」
「まぁ、そねいにかしこまらんで。気楽にやってください。私は姉の常子じゃ。こちらが母上。そちらが妹の孝子と厚子じゃ」
「武子さん、私こそ色々お願いせにゃならん。私だけでなく勝之助や勇吉もつれていくことになるのじゃ。面倒をかけますがよろしくお願いしますじゃ」
「まぁ、母上様そのようなご挨拶。かたじけのうございます。お気遣いなど無用でございます」
武子は聞多の母婦佐子の前に行き、手を取って語りかけていた。その様子を見て聞多は少し安心していた。
 聞多も家族団らんという時間が、これからできるのかと少し感慨深かった。実家での時間は貴重なものになった。問題の家と田畑については暫くの間、吉富に管理してもらうことにした。また、山口の藩庁に行き、財務について相談を受けたりもしていた。
 形ができつつあった家族を連れて、聞多は東京に向かった。新居は三井の三野村の斡旋で、三井の持っていた、海運橋の屋敷を一先ず借りて、暮らすことにしていた。
 新生活も落ち着いてきた頃、除隊騒動の残党が九州の久留米にいるとの報を受けて、河野敏鎌を派遣し取締と追捕を行うことになった。
 また日田では暴徒が発生し、不穏な状況になっていた。その鎮圧のため、元の知事の松方正義を始めとして派遣していた。次いで木戸も追補のため赴くことになった。このような暴動が全国の各所で発生するにいたり、京や東京でも不審者が現れるようになり、広沢真臣は取締を強化しようとしていた。そんな時広沢真臣が就寝中襲われて殺された。
 その報を聞いて、井上聞多改め馨は、木戸に文を送った。東京に戻ることの要請と、暴徒に対する強硬策を伝えていた。しかし、日田とその周辺の暴徒の鎮圧は、なかなかうまくいかなかった。
 久留米に対しても、山口の騒動の首謀者を匿っていることは、明らかであると巡察使を派遣した。巡察使は藩知事に謹慎を命じ、大参事などを捕らえた。これ以上は匿い切れないと思った久留米藩士は、首謀者とされていた大楽源太郎を殺害した。これにて一応の落ち着きを得ることになった。
 世間的には騒がしい中、造幣寮は開業の日を迎えていた。しかし馨は諸事に追われていて、大阪に行くことができなかった。しかし、三条実美や岩倉具視も出席する盛大な式を行っていた。派手に上げた花火で周辺の家が火事なるという事件も起こしていた。
 同じ頃アメリカで財政を調査している伊藤から、通貨の基軸を金とすべきとした金本位制や、紙幣発行の業務も行うナショナル・バンクを設置するべきという提言が送られてきた。
「渋沢、伊藤からの提言じゃ。通貨の基軸を定める件、バンクの創設についてしたためられとる」
「金を本位にするということですか」
「それじゃが、伊藤は金と言っておるが、現在の実際は銀のほうが多かろう。バンクについても、伊藤の言うアメリカのナショナルバンクと、イギリスのバンクと考えが違うものがあるの。その辺りの意見をまとめておいてくれないか。状況によってわしはまた山口に行くことになりそうじゃ」
「木戸さんがまだ山口におられるのでしたね」
「そういうことじゃ」
金本位制などを含む新貨条例はこうして発布された。

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