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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#33

7 黒船と砲台(4)

 俊輔の案内で世子定広のいる部屋へ行った。俊輔は隣の間で控えているといった。

「井上聞多入ります」
「高杉晋作入ります」
 二人で部屋に入り、定広の前へ進んだ。

 定広が切り出した。
「聞多の最近の言動が過激だと皆から聞いておる。この存亡の折である、我が長州をより良くする方策を考えてくれぬか」
 そう言って「止戦講和」と手書きをした紙を渡した。
「私は己の論が過激だと思うておりませぬ。そもそもこの国を焦土と化すことを、一度はお認めになったではありませぬか。この期に及んで講和と申されても、どちらが真意かわかりかねます。私には変えることはできかねます」

 すると「以権道講和」と書いて渡した。
「権道とはいかなる意味でございますか」
「二方に敵は背負えぬ。外国とは和を結び、公儀と戦えるようにすることじゃ。その後朝廷に勅命により攘夷を決行した事を説明し、冤罪を晴らしたいということじゃ」
「それでは冤罪がはらされれば、攘夷を行うこともあるということですか。そのように講和をして、こちらの目的が果たされた後、また戦をするなどという騙す行為など、許されることではありますまい。外国人とて、いえ、外国人は信義を重んじる人類でございます。一旦和議を結んで後、新たな理由なくして戦など行えば、あちら側も懲罰として対してくるに違いありませぬ。そのときこそ滅んでしまいます。そんな詐道を行うようなことをするくらいなら、ここで滅んだほうがマシだと考えます」

 晋作には、真っ直ぐ世子様の顔を見て、話す聞多が別人に見えた。まさに容赦なく『諫言』をするその姿勢と、それを受け入れる定広とのやり取りに震えていた。
 聞いている晋作の顔が青ざめてきて、流石に堪えられなかったのか聞多を止めた。定広に失礼をわびて、聞多を隣の部屋に連れ出した。

「世子様だってお立場がある。言えることと言えないことだってあるんだ。それをあの様に突き詰めていってもどうしようもなくなるぞ」
 聞多は答えなかった。晋作の言いたいことはわかる、しかしどうしても言質を、取らずにはいられなかった。もっともこの藩の意見の変化は、面倒だから、確約をとってもどれほどの意味があるのか。
 世子様付きの者が来て、世子様がお呼びだと言ってきたので、二人は戻った。

 今度は「以信義講和」と書いて出した。
「なぜ今度は信義を以てと変わられたのですか」
「変わったわけではない。もともと信義をもって講和に務めるべきと考えておった。されど、そのままでは過激攘夷派を抑えることはできぬ。権道は方便にしか過ぎぬ」

 聞多はため息をついた。方便だと、方便で済むならば、こんなに苦労するものか。

「それではもし、公儀に勝利した後、朝廷から攘夷の命を受けたらどうなさるおつもりですか」
「勅命には逆らえぬ。攘夷を行うしかあるまい」
「そのようなことで信義が立つとお思いですか。勅命とはいえど、誤りがあれば正すのも忠臣たる道と存じます」

 高杉が聞多の話っぷりに、とうとう苛立ちを抑えられなくなっていた。
「聞多、少しは思量しろ。世子様もこれ以上は無理だろう。過激攘夷派がいる以上、無理なことも多いのは君もわかっているだろう」
「晋作、わかった」
 聞多もこれ以上言っても、無駄だと思いだしていた。
「世子様。和議の交渉のお役目引受させていただきます」
 聞多は頭を下げて、言った。

 不安しかないが、やるしかないのだ。考えろ、打つ手の中で一番効果的なのは何だ。内にも外にも。そうだとりあえず、この男にも役割を担ってもらうか。

「そうか、私もそなた達が和議を結ぶ事ができたなら、攘夷派の反対論を抑え、公儀との戦い必ず勝利し、朝廷のもと新しき世を作ることを約束する。この後変わることもない」
「ありがたきお言葉、恐縮でございます。なれど、約定を破ったのも同然のこと、われらが相手に信用されぬかもしれませぬ。世子様の同道をお願いしとうございます」
「それは殿のお許しいただけぬであろう」
「されば、御家老を名代の正使となし、藩要路を一両名副使とするのはいかがでございましょう」
「それならば問題なかろう」
「ただなかなか良いお人がおりませぬな。そうですね、高杉を宍戸備前様のご養子とし、正使とされてはいかがでしょう」
「それは良い。ならば副使には杉と渡邊内蔵太をつけよう。通訳は聞多と伊藤がつけばよい」
「これで、決まりですな」
 聞多がやっと笑った。

 場の空気がはっきりと変わった。これだけ定広が議論に乗ってくるとは思わなかった。高杉には聞多が自分にはかけている物を持っていて、世子様や殿にはそれが特別のものと見えるのではないかと思えた。

「では、失礼いたします」
 二人で退出して、俊輔のもとにいった。
「僕は、聞多に振り回され放題だ。俊輔、和議の交渉に行くぞ」
「聞多、納得したんじゃの」
「やっとじゃ。僕は聞多があまりにも聞かぬので、身が持たぬかもと思ったぞ」
「これでも足らぬかもしれぬ」
 高杉は聞多が何にこだわっているのか、わからなくなってきていた。
「いや、皆のいる席にもどろう。酒じゃ」
 足早に行く聞多を高杉と俊輔が追いかけていった。
 
 座につくと聞多がこれまでのことを説明した。
「皆様にご報告がございます。私も和議の交渉に参りますこと世子様にお伝えいたしました。世子様のお許しもいただき、こちらにおります高杉を正使とし一時的に宍戸備前様のご養子となります。副使として杉と渡邊、通訳が私と伊藤という組で行います」
「それは何より」
 毛利登人も賛同した。
「そうじゃ。内蔵太、大和、俊輔もじゃ。養子先の晋作の名前じゃ。どうするのがええ」
「跳ね馬じゃしの」
「桂馬はどうじゃ」
「そうだ刑馬にするぞ」
 最後は高杉が決めた。
「ところでなぜそこまで気にする」
 高杉がきいた。
「えらく日本の言葉が達者な通訳が、あちらにおっての。武鑑ぐらいは必ず目を通しているはずじゃ。だから普通の「子」にするのは無理なんじゃ。最近養子になったとせねば納得してくれんじゃろ。な、俊輔」
「そうです。アーネスト・サトウと言う通訳は、普通に日本人の書いた文も読みこなせるとか。本当に凄い人です」
「そういう人と対峙せにゃならんのじゃ。晋作も策を練ってくれよ」


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