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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#83

17 遣欧使節団と留守政府(4)

 いよいよ使節団が出発するとなった前日、壮行会が開かれた。
とりあえず岩倉さんにはこの場でご挨拶でもと、近くに寄って酒を継いだ。
「お願いすることでは無いとは思いますが、木戸さんのことよろしくお願いします。そして、約定書の件もありがとうございました」
「あんたはんが、辞めると言い出したときは肝を冷やしましたよ。大蔵はあんたはんがおやりになるしかないのですから」
「ようわかっとります」
すると次にという人影を見たので、馨は岩倉の前から下がった。
 政府の随行員まで含めるとかなりの人数になるはずだ。そのうちどれだけ来ているのかわからないので、壁にもたれかかって様子を見ていた。すると西郷隆盛がやってきて、馨に盃を渡して言った。
「三井ん番頭どん一献どげんな」
 周りの空気が凍りついたが、受けないのも負けだと思ったので、そのまま無言で飲み干した。返杯をするわけでもなく、また壁にもたれかかって様子を見ていた。
 西郷隆盛は清貧をやっているが、高給取りだろう。給金はどこに行っているのかなどと考えていた。放蕩も世の中に金を回すという意味では、経済の一翼を担っているのだな。富国の一手は民の力を上げること。まず力のある商人を育て、諸外国のカンパニーに負けないところを作るのも一つ。三井ぐらいはその期待に応えなくて、この国には他に何があるというのか。
 それにしてもこの西郷隆盛が、わしの政府部内における大蔵省の後見人とは無理がありすぎじゃ。西郷隆盛をぼうっと見て思った。もうひとり板垣退助。土佐の改革に乗り出したかと思えば、未だに武に重心を置くこの御仁を理解できないでいた。この二人が参議として大隈と正院をやっていけるのか。一番の不安材料にしか思えない。
 次に目に入った俊輔は、かなり人の間に入って挨拶をしていた。あれが周旋家というもの、と感じざるを得なかった。心のなかでがんばれよと声をかけた。
 そっと立って出ていこうとすると、いつの間にか山田顕義が、袖を引っ張っていた。
「井上さん、もう帰るんか」
「あぁ、そうじゃ。木戸さんをよろしくの。あの人は気短で気難しいけぇ。わしが言うことではないな」
「大丈夫です」
「それじゃ気いつけて」
 そう言うと馨は宴会場を後にした。どこかで気分直しをしようかとも思ったが、そのまま帰宅をした。
「渋沢くん、聞多を知らないか」
「いいえ、私も気にしていたところです。いつの間に」
「私も井上さんを探して居ったのですが、大隈さんは」
「山口くん、吾輩もみておらん」
「あの、井上さんならお帰りに」
「山田くん、なんで聞多を止めなかった」
「それは、僕が止められるはず無いよ」
「たしかに。これだけおったのに気が付かんかったんじゃ。すまんかった」
博文は山田の肩を叩いて謝っていた。

 使節団の出発の日がやってきた。留守政府組も総出でアメリカに向かう使節団を見送った。出ていく者残るもの微妙な緊張感が満ちていた。
 馨は直ぐに戻ると、やるべきことの表を眺めていた。すでに内議で決している、土地の所有権を認める地券の発行、華士族の秩禄の処分、これには木戸の意見から突っ込んだものが必要かもしれない。財務からは準備金の蓄え、勧農の方法、完成が迫った富岡製糸場の運営、鉄道の開通など休んでいる暇はなかった。
 そうは言っても染み付いた習慣は抜けないもの。終業時間には書類をカバンに詰め込み、贔屓の茶屋に向かう。それぞれ連絡を取り合い、誰かと合流して書類を広げ、議論を戦わせながら酒を飲む、そんな日常が続いていた。時には三井や出入りの業者が座を仕切ることもあった。
 馨や山縣を代表とする長州組やその周辺の人たちにとっては、世の中を動かす原動力として欠かせない時間であった。しかしその派手な行動は、苦々しく思っている敵を増やすことにもなった。その一つが送別会の西郷隆盛の言葉であった。
 もう一つ馨の身内にも大きな出来事があった。兄の子で養子の勝之助をイギリスに留学に出したのだった。

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