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【小説】奔波の先に 〜聞多と俊輔〜#21

異国(2)

 土蔵相模では俊輔が落ち着かないまま、座敷をウロウロ歩いていた。
「なんか時間かかり過ぎではないか」
「聞多を一人で行かせるべきじゃなかった。僕が付いていくべきだったのでは」
「俊輔落ち着け、座っていてくれないか。こっちのほうが気が急いてくる」
 弥吉が俊輔をとりあえず座らせることができた。

 しばらくすると、遠藤を連れてきた聞多が座敷に入ってきた。
「俊輔は初めてか。一緒に洋行する最後の一人だ」
「遠藤謹助です。こんなところからの参加ですいません。よろしくおねがいします」
「ようし、これで準備は整ったぞ」
 聞多が声をかけた。
「行けるんじゃな」
 山尾がホッとしたような声を出した。
「そうだ、西洋式の着物を横浜に買い出しに行ってくる」
「お主に任せて大丈夫かのう」
 聞多が怪訝そうに言うと、俊輔が
「僕は山尾に任せた」と言った。
 あとは馴染みとともに騒いで一夜を過ごした。

 次の日の昼過ぎ、聞多は約束通り麻布の藩邸に行き、村田を伴って大黒屋に向かった。大黒屋で村田が保証書きをしたのを見届けると、佐藤が別の座敷に案内した。

「まぁ食事でもいかがですか」
「実は某、周布様より協力をしてほしいと頼まれておりましたのでございます」
 伊豆倉の佐藤が種明かしを初めた。
「攘夷のためにも若いものを異国に遊学させて、実体験を持ち帰ってくれば世を変えることが出来るのではとおっしゃっていた。そのお姿に感動してここに至っております」
「村田様もそうではありませぬか」
「私も周布様や桂さんから聞かされました。志道くんよく正解を掘り当てました」

 聞多は笑うしかなかった。すべては周布の手のひらの上で踊っていたのか。まあいいか。

 食事が終わるとまた佐藤が声をかけた。
「出国の夜には出立の宴席を設けさせていただきます。村田様も横浜の当店へお越しください」
 村田は了承して帰っていった。
「志道さま方は今宵より横浜の宿にお移りください。一度当店の方へお越しいただきまして後、ご案内いたします」
「そのような配慮かたじけない。では皆で参るのでよろしく頼む」
「もう一つ願いがあるのだが。この銀をエゲレスで使える金に変えてほしい」
 聞多は銀を20匁ほど渡した。

 伊豆倉をあとにすると聞多は多くの人達によってこのように出来るのだと心が熱くなった。皆のまつ土蔵相模に行くと、伊豆倉の申し出を話して横浜に向かった。伊豆倉から案内された宿につき一息つくと、俊輔が少し出てくると言って出ていった。

 弥吉が突然言い出した。
「ところで、英語の分かる人いる?」
「わしはだめだ」
 聞多は素直に答えた。
「他の人は、いないんだ。じゃあ僕くらいか」
「とりあえずは弥吉に頑張ってもらおう」
 聞多が床に転がって言った。
 山尾はくすくす笑っていた。

 俊輔は一冊の本をもって帰ってきた。ようやく出版された英語の辞書だった。
「役に立つかわからんけど、とりあえず買ってきた」

 聞多はもう一つやっておかなくてはいけないことを思い出した。

 紙と筆を取り出し文を書き出した。周布を始めとする藩要路に宛てて、5000両の無断拝領のこと、俊輔と遠藤の無断同行のこと、そして意気込み。全て勝手なことをしたが、全ては人の機械を買ったものと、許してほしいと書いた。遊びに行くのではない、5年間しっかり学び、外国の優れたものを身につけ、きっと役立つ者になってみせると心に決めた。

 その姿を見た俊輔も桂や家族に向けて文を書いた。それぞれが思い立ったことをして、この国の最後になるかもしれない一日を過ごした。

次の日の夕刻、伊豆倉の佐藤が手代を連れて迎えにやってきた。
「準備は整われましたか」
「手荷物はこちらに、なるべく身軽でお願いします」
 聞多は手に持った箱を手荷物として置いた。

 人気のいない屋敷に通されて、ひと部屋だけ明るい部屋に向かった。そこには祝い膳が用意されていて、それぞれが座についた。村田蔵六もすでに座についていた。

 少し不思議な席になっていて、正面の中央は何も置かれていなかった。佐藤が手を叩くと、手代が緋毛氈とその上に大きな紙をしいた。まず、遠藤の名を呼ぶとその紙の上に誘った。大小のハサミと小刀を持った手代が髻を切り落とし、西洋人風に髪を整えていった。遠藤には心の準備ができていなかったらしく、驚いたまま全てが終わった。その後別室に招かれ西洋式の着物に着替えて戻ってきた。

 次はわしの番じゃな。聞多は初めての経験にワクワクしていた。髪を切り、着替えると別人になった気がした。これが西洋の着物かと落ち着かなくアチラコチラいじり始めていた。二人の姿を見た弥吉は山尾に、「さすがだね、山尾の用意したものよりいいと違う」と声をかけていた。俊輔も着替え終わり、山尾も着替えが済むと又宴席が再開した。

 聞多は村田に酒を注ぎに行った。
「本当にご迷惑おかけして申し訳ございませんでした。しかもこのようにお見送りまでしていただけるとは、ありがたきことです」
「それこそ、この席を準備してくれた佐藤さんに言うべきではないですか」
「承知しております。生きてまたお会いしとうございます」
「私からはこの程度しかできんが、これを持っていきなさい。あまり、正確ではないが、エゲレス語の辞書だ」
 受け取ると、真っ直ぐみて、笑っていた。
「ありがとうございます。英学修業と言ってもさっぱりで、とても嬉しゅうございます」

 村田は殊勝な聞多を見て、噂に聞く人物像とは違う面を見たのだなと、愉快な気持ちになった。聞多は佐藤にも近づいていき、礼を述べた。そして手荷物として持ってきた箱を佐藤に預けていった。それと引き換えにするかのように小さな巾着を受け取った。エゲレスの金が入っていた。聞多はこっそり中身を確認をしていた。

 そうこうしているうちに出立の刻限となった。5人は商会のガワーの待つ船乗り場に行き、沖に行くまで息を潜めて石炭置き場に隠れているように言われた。
 公儀の積み荷の点検、密航者への見張りは厳重にされている。ここで見つかっては始まる前に終わってしまう。なるべく小さくなっていると答えた。乗組員にまぎれて乗り込んで、石炭置き場の石炭の影に隠れた。

 準備完了。あとは出港を待つのみ。

 村田と佐藤は場所を移して、見晴らしの良い丘にいった。
「少し遠いですが、ここなら船が見えます」
「船の明かりがはっきり見えますな。良い眺めです。国を挙げての企みであるはずなのに、このように寂しい旅立ちとは残念です」
「あのお人はそのようなこと、気になさらないでしょう」
「志道聞多くんですか」
「はい、初めてお会いした時、お武家様には見えませんで。今でも、このまま家で奉公していただければ、店を任せたいお方だと思っております。この件ではお話できませんでしたが、伊藤様もなかなかのお方でございますよ」
「私は学ぶ者たちの手助けをするのみで。門戸を叩かぬものに興味がなかったので、今まで知らなかった者たちです」
「志道様の行動力、伊藤様の冷静さ、お二人で合力されると、きっと愉快なことになりましょうな。長藩には良きお人が、多くいらっしゃいますな」

 蔵六はこのように見届けられたのは幸いなことだと思った。船は横浜の港を離れ、湾の入り口へと向かっていく。佐藤が駕籠をご用意しておりますと声をかけた時、手に持っていた箱が気になった。

「それは」
「これは志道さまが預かっていてほしいと言われた品でございます」
手に持った提灯で照らすと、光を反射するものがあった。
「これはランプじゃ」
「横浜で買い求めたものでしょうか。留め金のところに傷があるのが、もしかしたら分解をされたのかもしれませぬな」
「これは私が預かろう。国元へ置いておけば返すのはかんたんじゃ」
「左様でございますな。では、お願いいたします」
 志道聞多の志しかと受け取った。帰国を待っているぞと心のなかで声をかけた。


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