伊達眼鏡博物館が閉鎖したときの話

西島くんとか加藤くんが始めた伊達眼鏡博物館が閉館することになった。日本では初の博物館の中にレストランが併設されている博物館であった。この博物館が画期的だったことは3つある。
 1つめは、身長が178センチ以上の人でも入館できたことだ。当時の博物館は、身長制限があるところが当たり前で、当時はそうとうな避難を浴びていたことを覚えている。西島君もそうとう苦労したことと思います。当時はよく彼の実家で話をしていたが、それは守秘義務がないにもかかわらず、話の内容は言うことができない。
 2つめは、社員証を廃止するというルールを掲げながら、社員証を社員が全員首からかけていたことだ。社員証を首から掛けていると朝礼で自分が考えたダンスをしなければならないというのが当時の通例であったが、全員首から掛けていた。その気持ちが僕自身当時はわからなかったが、水筒にいれたみそ汁を信号待ちの間に飲み干せるようになって初めて気持ちが分かった気がした。
 3つめは、なんといっても、カンフー映画を館内で上映していたことだ。白黒の映画をむりやりカラーに変換して上映していたから大したものである。ここでカンフー映画を初めて見た人も多いのではないだろうか。カンフー映画マニアからは一目置かれている場所であったことは間違いないだろう。当時のエピソードとしては、カンフー道場の集団が上映に来た時、その中の一人に見覚えのある人がいた。その人は普段は病院の医療機器の上のほこりをキッチンペーパーでふき取る仕事をしているらしかった。当時僕はその界隈の知り合いが多かったので、どこかですれ違ったのかと思っていたが、その人から僕に声をかけてくれたことですべてが判明した。その人の話では、ヘルメットについてのこぼれ話の会合を主催していたらしく、そこで僕とあったことがあるのだとか。しかし僕にはその記憶がない。
そこではっとして、電動アシスト自動車を部屋で飼育するための会合で知り合ったことを気づいた。それを伝えると、結婚式のごはんで焼き魚が出なかったときのような顔をしていた。
 以上であるが、書いていて思い出したことはまだまだある。また、誰が何と言おうと、牛乳をコップで飲むときに、3口に分けて飲むことだけは絶対にやめないつもりだ。なにはともあれ、西島君と加藤くん、おつかれさまでした。

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