見出し画像

【#1】自分が介入する余地の無い事柄への口惜しさ/エッセイ

僕は時々、生まれた時代を間違えたと思うことがある。

好きな小説家の三島由紀夫や太宰治が僕が生まれるもっと前に自殺して亡くなっていて、感想もファンレターももう本人に届かないとき。

物心がつく前から当たり前のように日常風景に溶け込んでいた『笑っていいとも』が終わる日、新宿アルタ前に集ってタモリさんや歴代いいともメンバーの勇姿を見届けて心の中で「お疲れ様」と「今までありがとう」を伝えられるような金銭的精神的な余裕も無くそして僕は未だ若く無力で、テレビの前の傍観者から抜け出す術が無かったとき。

初めてお年玉で買ったのは『クイズヘキサゴン』から結成されたアイドルグループ『羞恥心』のCDで、僕が生まれて初めてファンになったアイドルでその頃の僕は小学五年生だった。

友達と三人で放課後に一生懸命振り付けを覚えて踊ってそのビデオを番組に送ったりもしたけれど、羞恥心の活動休止や解散に僕は成す術が無かったし、もっと言えば小学校六年間ずっとテレビ越しに憧れていた存在で彼を真似て学校行事で面白おかしく司会をしたり学校の行事をプロデュースしていた僕自身のロールモデルでもあった『島田紳助』の突然の引退も、僕は記者会見の様子を夜中のニュースで観ても黙ったまま眠ってそのまま起きて朝練に行くしか無かった。



その頃からあった介入出来ない事柄はその後も徐々に増えていった、中学生の頃好きだった曲に「遮るものを挙げるならば、心と道徳、法律か」と云う歌詞がある、その三つを包含した「倫理」の存在に僕達は次第に抗えなくなる。

例えば教師を好きになった生徒がぶち当たる倫理で出来た壁とか、好きになった人が既婚者だと出来た筈の不倫が相手に子供が居た場合には出来なくなって仕舞う、それも倫理観に基づいた理性の壁だと思う。

やりたいことも言いたいことも全て倫理に縛られる、犯罪を犯している訳では無いのに法律を破るのと同じくらいの抵抗感が「倫理を侵す」事柄にはある。


そこにも自分が介入出来ない事柄への口惜しさが存在する。

自身の無力、それから倫理、あとは運命も当て嵌まる。

運命とは時代に寄るもので、僕は「また生まれてくる時代を間違えた」と思うことが度々ある、もう少し早く産まれていれば自分にもチャンスがあった筈だとか、選んでくれたかもしれない、手に入ったかもしれないだとか。

付随して、せっかく出逢えたのに同じ時代を生きられなかったのが口惜しいし、せっかく同じ時代に生きられているのに出逢えないのが口惜しいし、出逢えなくて同じ時代を生きることも出来なくてただ名前だけを知っている関係性も口惜しい。


唯、これら全ては口惜しいであって悔しいではない。介入する余地がない事柄に後悔することは、「してしまった事について後から悔やむ」と云う意味の後悔と云う言葉は当て嵌まらないからだ。

そして、多分そう云う感覚は僕が初めてじゃない筈で、現代に生まれていたら決して断罪されることの無かった思想の持ち主や、売られることの無かった女性や子供達、差別されたり迫害されることの無かった人々、当時は治療法が無く亡くならざるを得なかった病人達、奴隷、ホロコースト、戦争、家柄や階級や貧富などの格差、全部ゝゝ自分がその時代に生まれたと云うだけで引き受けなければならなかった不条理の数々で、自分の意志とは関係なくその時代の人々は運命に翻弄されるしか無かった。

そう云う人々も、きっと僕と同じ感覚を持ちながら「自分が介入することの出来ない事柄への口惜しさ」を抱えていた筈で。

それは現代も変わっていないと思う、海を越えればロシアとウクライナの戦争や、戦後最悪の犠牲者数を出した殺人事件を犯した青葉真司の存在や、死刑になった加藤智大を始めとした無敵の人と呼ばれる人達。
そして無敵の人にはならずに自ら自死を選択した人達、否、自殺する他無かった人達。



それでも僕は時偶思うのだ、自分が介入することの出来ない事柄には、他者なら介入出来るのではないかと。

時代の流れや風潮、言い換えれば流行の思想と云うのはたった一人の誰かが唱えた、誰かが始めた物語だったりする、そして物語なら、書き換え可能だ。
たった一人の誰かが始めた物語は他のたった一人の誰かでも、将又たった一人のあなたによっても編集可能で、終わらすことだって出来る。

僕達は口々に自分は無力だと、殊選挙に於いてはたった一票で何が変わるんだと声を揃えて言ったりするけれど、自分を諦めるのは早過ぎる、自分の力を見くびってはいけない、いつの時代だってたった一人が少しずつ世界を変えてきた、世の中の不条理を変えてきた。

この宇宙の自然法則の中の普遍的で流動的な世界を無条件で受け入れて受動的に生きるのでは無くて、能動的に働きかけてその法則に抗って世界を変えようとしてきた人達がいた。

そのお陰で僕は今精神科へ通って治療を受けられているし、好きな髪型をして好きな服装をして自由恋愛も出来ている、他にも数々の恩恵を受けていて挙げ出したらキリが無い。


これらは全部過去に能動的に生きてくれた、物語を書き換えてきてくれた人達のお陰なのだ。

だから僕も自殺を成し遂げられ無かった身として、同じような人々が生き易い世界、ぶっちゃけると僕が生き易い世界に変えたい、僕の大切な人達が少しでも生き易い世界を作りたい。

同じ時代に生まれた人達の一人一人の生き辛さが少しでも解消されればいいし、次の時代を生きるように定められた人にそう云う世界をバトンとして手渡したい。



これは綺麗事や理想論でも何でも無い、超リアリスト的な視点で僕らに課された使命を語っているだけなのだ。

だから僕は自分の運命に帰するところの現実を受け入れてその他大勢として受動的に生きるよりも、たった一人のかけがえの無い人間として自分自身に課された使命を成し遂げる、煉獄さんの言葉を借りれば「俺は俺の責務を全うする」をやりたいし能動的に生きていきたい。

そうやって誰かの物語を編集し誰かが生き易い世界に変えることが、自分の介入出来ない事柄に抵抗する方法で、そうやって結果的に自分も生き易くなることが、誰かを救う行為で自分自身が救われると云うことが、口惜しさを拭い去る唯一の方法なのではないか。


そして考えるのは自分に何が出来るのかと云うこと。

高校生の頃先生に「お前には人徳が無い」と言われた僕に気付けば沢山出来ていたフォロワーさんとの繋がり、僕が知らなくてフォロワーさんが知っていること、僕に出来なくてフォロワーさんに出来ること、それらを寄せ集めたらきっと強力な武器になる。

フォロワーさんに協力して貰って24時間の強固な相談機関が作れたらそれはとても理想的だ、24時間繋がる唯一の相談機関であるいのちの電話はいざと云うときに限らず普段から全然繋がらない、ボランティアで講習費用が高く人手不足や相談員の高齢化などの問題を抱えていると聞いたことがある。

誰かが相談に乗れていたら話を聞けていたら、それは文字でも声のやり取りでも、自死を選ばずに済んだ人がきっと沢山居た筈だ。

第三者になら自分の弱さを曝け出して頼ることが出来るのではないか、匿名でなら自分の気持ちを何でも吐露出来たのではないかと思う、だから僕はそう云う機関をいつか作りたい。

簡単なものならオープンチャットやSNSで公式アカウントを作って個別相談に応じたり、未だ全然そこまでのビジョンしか無いけれど、それでもその為には人脈だったり信用だったりある程度の影響力が必須だと思う。

だから先ずはインフルエンサーを目指そうと考えていて、その為にもっと勉強をしてTwitterの140文字の世界で成り上がって沢山の人にフォローされたい、誰か一人の心に響く良い文章を書いていれば自然とそれは叶うような気がしてる。

だけれども今の自分では力不足だから、もっと知名度を上げる為に文章を書くこと以外の自分の好きなことでも活動してみたい。

それはsuzuriなどで販売出来るような服のデザインだったりグッズのデザインをすることだったりで、最終的にはファッションブランド的な立ち位置になれば最高なのだけれど。

起きている時はずっと音楽を聴いている程の音楽好きの僕だから、定期的にSpotifyやApple Musicで様々なジャンルや様々なシチュエーション別の曲のプレイリストを作ったりも考えている、ファッション好きの人と音楽好きの人がフォローしてくれたら結構な人数になると思う。

その他にInstagramで精神衛生的なライフハックを発信するアカウントを作ったり、恋愛心理学だったりオカルトだったり昔の純文学の素敵な言葉だったり他にも僕の好きな事柄で僕が発信出来そうな情報が沢山ある、僕と絡んで下さっていたり僕のツイートを見て下さっているフォロワーさんに取材が出来たらもっと他ジャンルの情報を発信できる。

小学一年生から一昨年までずっと少年漫画を描いていたりデッサンの練習をしたりしていたからそのスキルも何処かで活かせられればいいなと思ったり。


……そんなこんなで上記の活動をしてインフルエンサーになりたいと本気で考えています。

noteの投稿もその一環としてやっていこうと思います、勿論僕は自分の生活をしないといけないから活動の中で収入を得ないといけないしnoteに於いては有料の記事を投稿していくつもりです。

それはすみません、そして重ねて僕は自分の目標だとか夢を第一に考えなければいけないから純文学の小説作品を書いて賞に投稿することと、その為の読書による勉強を生活の最優先事項にしたいので、ここまで散々語っておきながら相談機関を作ることやインフルエンサーになることに今直ぐ取り組むことは出来ません。

だけれどもいずれ余裕が出来たらその時は直向きに活動に取り組んでいくので、今はぽつりぽつりですがその時期が来るまで待って頂けたら幸いです。

以上、僕がnoteを始めるにあたって動機と目的を伝える為の自己紹介でした。

僕のインターネットでの活動の信念は此処に書いたようなことでそこはブレないので。

最後迄、読んで下さってありがとうございました。


みずいろ

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,447件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?