12歳で本物の地獄を見た話

先月は本当に暖かくて、もう夏じゃん!!と調子に乗って布団を仕舞ったのに最近なんだが涼しい気がする。寝ていると足元がスースーして、春にお別れしたはずの冷え性が再来している。つらい。

そんなことはさておき、本題に入ろう。タイトル通り、私は12歳で本物の地獄を見た。あれよあれよという間に10年経ってしまったが、あれを超える地獄には未だ遭遇できていない。

その地獄とは、中学受験の抽選会場で抽選結果が開示された後の空間のことだ。

受験の選考は、一次が筆記、二次が面接、三次が問題の抽選だった。検索したら出てくるので詳細には書かないが、この受験は何かと話題になった。
話を抽選に戻そう。これがなかなか複雑なシステムで、抽選券を引く順番を決める抽選と、結果を決めるための抽選の2回抽選があったはず。合格数に対して結構な数の候補者がいたのでそこそこ時間もかかった。

天井が高く広い体育館のような空間で、ドキドキワクワクしながら結果を待つ12歳の少年少女たち。結果がスクリーンに映し出されると、あちこちで歓喜の声が聞こえた。友達と抱き合う子。笑顔があふれる子。今までの全てが報われた瞬間だろう。

だがその中にはもちろん、抽選から外れた不合格者が多数いる。唖然とした顔をする子や放心状態の子が多く、何が起こったのか理解できないという具合だった。そのうち嗚咽を漏らす子や、友人に「ダメだったー」と明るく話しかける子が表れる。志望校に向けて切磋琢磨していた仲間が、合格者と不合格者に振り分けられてしまった瞬間だった。

合格者には校内に残り書類を受け取るよう促す指示が、不合格者は荷物をまとめ退場を促すアナウンスが、スピーカーから大きな音で流れ始める。私はこの空間から離れたい一心で急いで荷物を持ち出口に向かった。会場の様子を見ていると冷静になり、「ああ、今、本物の地獄にいるな」と他人事のように思った。

外では会場から出た我々不合格者を、カメラを持った地元のテレビ局が待ち受ける。あろうことか児童にインタビューをする人もいた。インタビューを受けた児童の感情は計り知れない。あのときのニュースが残っていないか探してみたが、動画はおろか記事の一つも残っていなかった。

個人的にはこの後もきつかった。同じ小学校から受験し三次まで進んだ人は全員同じクラスで、しかも合格していたからだ。合否を聞かれたので素直に答えたら、一瞥して何も言わずその場を去っていった同級生の顔も名前も、私はいまだに覚えている。担任も私が不合格だと知ったら、慰めや激励の言葉のひとつもなく、そうだったんだーといった具合。大人なんだから気の利く言葉のひとつやふたつ言えよ!と喉まで出たが口には出さなかった。

そんなこんなで、努力は不可抗力により簡単に無効化されることを知ってしまったわけだが、少なくとも12歳で経験していいことではなかったと思う。精神衛生上問題がありすぎる。

この件に関しては、今思い出しても腹立たしく、なんだか泣きそうにもなる。というか普通に泣く。会場で泣いていたあの子も、泣くのをこらえて笑顔でいたあの子も、どこかで幸せに暮らしていることを願わずにはいられない。

あの時のことを無理に忘れる必要も惨めに思う必要もないと、私は思う。私たちの血と涙が詰まったあの時間と感情は、大人になった今も心の中で生き続け、理不尽と戦う武器になるだろう。あのことを未だ忘れられない未練がましい人間だけど、うわべだけの言葉ではなく、本気でそう思っている。

あの時の私たち、絶対に幸せになろう。しぶとく生きていこうな。



このnoteには特定の個人や組織を批判する意図はない。また私の記憶に基づいて記述しているため、受験の方式に関して間違いがあるかもしれない。感情を整理するための日記、個人的な体験の記録として捉えていただきたい。

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