だいたい、1970年代のプロ野球。

ベースボールマガジンの別冊で、現在「よみがえる1970年代のプロ野球」というシリーズが刊行されています。 
確か、2年前、最初が1990年代で始まり、1980年代と来て、今年は1970年代です。
5月に1978年が刊行され、6月は1979年(昭和54年)が発売になりました。
カープが日本シリーズ初優勝。「江夏の21球」の年です。

表紙画像です

私、この時8歳。小学生でした。
日本シリーズについて記憶していることは、やはり第7戦です。カープは、第3戦〜第5戦、広島市民球場で3連勝するのですが、その頃の日本シリーズは、平日の試合もデーゲームのため、夕方のニュースで「カープ3連勝で王手」みたいなニュースを見た記憶しかない。(ちなみに、この第3戦の勝ちが、9試合目にしての、カープの日本シリーズ初勝利。)

第7戦 まず、テレビ中継が始まった(MBS制作·RCCテレビで観たはずです。)時、高橋慶彦が三塁にもういました。ライト前のヒットを、マニエルがトンネルして、三塁まで行かせてしまったのです。(その当時、パ・リーグの本拠地でも、指名打者は採用されていませんでした。)
ラクラク、カープが先制点。
そして、カープのキャッチャー、水沼四郎が決勝ホームランを打ったこと、確か、ビジターのチームがホームランを打っても、大阪球場のバックスクリーンに、なんばCITYの「はばたけホームラン」の広告が出た記憶があります。
私、このホームラン。2-3から逆転ホームランを打ったと勘違いしてました。2-2から4-2にしたのですね。
当時のキャッチャーといえば、巨人の山倉とか、打率1割台の選手が普通でしたから、水沼のホームランは衝撃でした。

で、「江夏の21球」になるのですが、見てるはずだけど、全然、当時江夏さんがどんな球を投げたかとかの記憶がない。
父親と母親が大騒ぎして、勝ったら弟を胴上げする!と言って、ずっと騒いでいた記憶。何か起こったかは、すべて、テレビ番組と、山際淳司さんの本からの知識です。
あの9回裏、何分かかったのだったか。16時頃に9回裏になって、30分はかかったと思うのですが。
あと、山際淳司さんの「江夏の21球」を読んで驚いたのは、9回裏のマウンドに江夏さんが向かう時、「これで、今年はもう投げなくていいんだ。」と、タバコの火を消して、マウンドに向かった。と、書かれてきて、「えっ、江夏さん、タバコ吸った後、投げてたの!」と、驚いたものです。
もちろん、衣笠さんが「ベンチのことなんか気にするな」と言ったのも、アーノルドの代走に、福山雅治さんの義理のお父さん、吹石徳一さんが出場したことも、全て後に気づいた話です。
ちなみに、生前、衣笠祥雄さんがTBSラジオに出演され、「日本シリーズで、福山雅治さんの義理のお父さん、吹石さんとは話をしたのですか?」という質問が来たとき、「いや、来てないでしょ。僕、サードだったから。」とお答えになった記憶がありますが、9回から衣笠さん、ファーストの守備に変わっているから、吹石さんは来ているんですね。

記憶はウソをつくし、時間が経つと、全ては思い出になりますね。
こんな、1970年代〜1980年代のプロ野球の記憶を、少し、ダラダラ書いてみようと思います。

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