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自分の話をすることが苦手、について考えてみた

「人数が少なかったら、もっと自分のことを話してくれるの?」

これは以前、高校生の頃からの友人に言われた言葉です。

言われたのはもう5.6年前なので、あまり覚えていないけれど、そのときは深く気に留めずに「人数が少ないほうが話しやすいな」とかなんとか返した気がする。

でも、この言葉は、ずっと私の心のなかに残り続けているんです。

そこで今回は、「自分のことを話すのが苦手」な自分について考えてみたことを書いていこうと思います。


自分のことを話すのが苦手

人見知りで、自分のことを周りのひとに話すことが苦手

これは、私が小学生ぐらいのときから、自分のことを表すときに使っている表現です。

にもかかわらず、社会人になってから、営業職→キャリアアドバイザー→人事採用と人と話すことを仕事としてきました。なので、コミュニケーション力は、おそらく後付けでどうにか人並みぐらいのところまで、できるようになってきたのかなとは感じています。

でも、いまだに「自分のことを話す」という行為は苦手です。

苦手というか、そもそも「私の何を話せばいいの?」と思ってしまいます。

私がそういう性格だからなのかわかりませんが、私の周りには「最近、こんなことがあってね!」と明るく自分の話をしてくれたり、「最近、全然だめでさ......」と自分の弱さを開示できたりする友だちがたくさんいます。

うらやましいなと思う一方で、話してくれる友だちといると「自分は話さなくてもいい」という安心感をおぼえている自分がいることにも気が付きました。

「話すよりも聞くほうが好き」というけれど

自分のことを話すのが苦手、そういうときにもう一つ加えていう言葉がある。

「話すよりも聞くほうがすき」

でも、よく人と話す仕事について思ったことがあって、それは「私は全然人の話を聞けていなかったな」ということです。

話をするのが得意な子の隣に座って、ただ笑って楽しい時間を与えてもらっていたんだなって。

話しやすくなる環境を作ったり、もっと話したいと思える問いをたてたり、共感したり、自分の意見を添えたり。そういったことを一切せずに、聞くほうが好きなんて、私はただ優しい友だちに甘えていただけなんだなって思ったんです。

だからどこかで、お話好きな友だちを見て、「私は話さなくてもいいんだ」って安心していたんじゃないかなって。

自分のことを話すのは、信頼しているよと伝えること

で、冒頭の「人数が少なかったら、もっと自分のことを話してくれるの?」という言葉を再度思い出してみました。

そしたら、ちょっとあの言葉の受け取り方が変わったんです。

当時は、友だちから「なんで自分のことを話せないの?」って、ちょっと責められていると感じる自分がいた気がするんです。

でもきっと「なんでもっと自分のことを話してくれないの?」って、疑問の投げかけだったんじゃないかなって。

それに「もっと話してくれると嬉しいよ」という優しさでもあったんじゃないかなって。

誰かに自分のことを話すのって、人によっては勇気がいることだと思うんです。

私は少なくともそうで。こんなこと話しても面白くないよね、私になんか興味ないよねってどこか思ってしまって、家族ぐらいにしか自分から他愛もない話をすることができないんです。

だからこそ、誰かに自分の話をするってことは「あなたのことを信頼してますよ」と伝えることでもあるんだなと気付きました。

自己開示、もっとうまくなりたいな

最近、「コミュニティに属したいと思っている自分」と「コミュニティに上手く属せない自分」が冷戦状態だったんです。

でも、きっと「自己開示が下手」=「自分を信じることが下手」=「相手を信じることが下手」みたいな構図な気がしてきたな。

まずは自分を好きになろう。自分との約束を守ったり、自分の大切なものを大事にしたり、そうやって少しずつ自分を好きになろうと思います。

そして、そんな自分を好きだと言ってくれる人、話をしたいと思ってくれる人の優しさを信じよう。お世辞や社交辞令だと思わずに、与えてもらった愛を受け止めようとも思います。

そしたら、きっと少しずつ自己開示ができるようになる気がしています。

2022年はもっと自分らしく、大切な人とつながれる年になりますように。


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