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北森鴻の10冊~読むとお腹が空く北森ミステリ~

2015年に発売された『この作家この10冊』に掲載した、”北森鴻の10冊”を読み返す機会があり、北森作品への想いがじわじわとこみ上げてきました。多くの方に北森作品に触れて欲しい思いもあって、転載の許可をいただきここに転載させていただきます。

読むとお腹が空く 料理がキーになる本

北森鴻作品といえば、骨董や民俗学などをテーマにしていると頭に思い浮かべる人が多いのではないかと思います。が、彼の著作の特徴はなんと言っても「読むとお腹が空く」ということ。読了後にお腹が空く作家ランキングの相当上位に入るのではないでしょうか。

北森さんを初体験の方にはまず『花の下にて春死なむ』をオススメします。「香菜里屋」というビアバーのマスターである工藤がお店にやってくる客の話しを聞きながら、話しに隠された秘密や謎を解き明かしていくという「日常の謎系ミステリ」です。常連たちが繰り広げる若干的外れな推理も読みどころでコミカルなのですが、解き明かされる人生の悲哀はなんともいえない余韻を残します。それを上回って心に残るのは工藤の出す料理とお酒です。本編とはある種関係がないのに、凝った料理が作られ、しかも料理にあった度数の違うビールが出てくるという念の入れようです。今思い出すだけでも涎が出てきそう…。なお、このビアバーは他の小説でも何度か登場してくるので、『花の下にて春死なむ』を読んでおけば他の作品でも臨場感が得られるでしょう。

 美味しいもの繫がりの必読本として次に『メイン・ディッシュ』がオススメです。劇団「紅神楽」の看板女優、紅林ユリエとその同居人の三津池による謎解きもの。三津池(ミケさん)はプロ級の料理の腕前を持っていて、各章で料理と絡んだ事件が次々と起こります。ミケさんにも秘密があり、物語が進むにつれそれが次第に明らかになっていく…というストーリー。料理の描写も多く(私は読み終わった後、玉ねぎをアメ色に炒めてカレーを作りました)、こちらもお腹が空いてくる1冊です。この作品は、劇中作が出てきたり、視点が変わったりという少し複雑な構造の連作短編集です。その複雑さにも関わらず短編ごとの完成度、落ちの鮮やかさなど本当に見事な作品といえます。

料理テーマの異色作では『屋上物語』も押さえておきたいところ。どのあたりが異色かというと、この連作小説は語り手をデパートの屋上の無生物にしているところです。
 探偵役は屋上のうどん屋のさくら婆さん。この人、テキ屋も手なずけちゃうようななかなかの人物で、どんな事件が起ころうと動じず謎を解いていきます。作中では、さくら婆さんの作るすこぶる美味しいうどんが振る舞われています。 この小説は、北森作品には比較的珍しい暗さを持った小説です。日常の謎(そもそもデパートの屋上は非日常の代表格かもしれませんが)というには、陰うつな事件が続きます。暗さをものともしない、さくら婆さんの格好良さはぜひ一度体験してほしいものです。
 余談ですが、この屋上のうどん屋さんにはモデルがあるそうです。池袋西武本店の屋上にある「かるかや」さんがモデルとのこと。そう聞くと行ってみたくなりますね。

デビュー作は時代ミステリ

食から少し離れて、次にデビュー作である『狂乱廿四孝』に注目してみたいと思います。北森さんはこの作品で鮎川哲也賞を受賞しデビューされました。まさに北森さんの原点。後にシリーズとして花開く事になる骨董や美術、民俗学といった知識やテーマの萌芽が感じられる時代ミステリです。
 明治初期、病気で足を切断した女形・澤村田之助は念願の復帰公演を迎えます。その最中、主治医が惨殺され、河鍋狂斎が描いた一枚の幽霊画が更なる殺人を引き起こす…といった物語です。探偵役など一部の人以外はほぼ歴史上実在した人物が描かれているのも面白いところ。田之助や河鍋狂斎、尾上菊五郎など小説の題材としても良く登場する人物を北森さんがどう描いたかをじっくり堪能してください。

 時代ミステリでデビューしたものの、北森さんはその後、それほど多くの時代ものを書いてはいません。江戸時代から明治にかけての事件を描いた『蜻蛉始末』は貴重な時代物です。
 「藤田組贋札事件」という実際起きた事件を舞台にしており、明治というひとつの時代が形作られる様を虚実入り交えて描いています。ミステリ色は薄いものの、北森さんならではの巧みなプロットと魅力的な登場人物の造形は見事。歴史が苦手な人をもたちまちこの時代に引き込んでくれます。実在の登場人物が多い中で、北森さんが創作した「とんぼ」という人物が異彩を放ち物語にアクセントを与えています。「とんぼ」は宇三郎という人物で、藤田傳三郎の幼なじみとして登場し、終始絡み合って成長していきます。2人の友情物語というには少し違いますが、考えるさせられる二人の関係でした。ドラマなど映像化して見てみたいと思う北森作品のひとつです。

 実際の事件をモチーフにした小説として読んでおきたいのが『共犯マジック』。北森さんが得意とする連作短編の中でも交錯度、衝撃度、完成度の高い作品です。
 暗い未来しか予測せず、それを読んだものの自殺が相次いだ『フォーチュンブック』。発売が自粛される中で、あるきっかけで7人の男女が本を手に入れます。 短編として展開される6つの話では『フォーチュンブック』を手にした者が昭和を騒がした事件に荷担していく様が描かれます。学生運動、ホテルニュージャパンの火災、帝銀事件、グリコ・森永事件、横須賀線爆破事件、そして三億円事件。 未だなお謎の残るこういった事件に対して、北森流の解釈がなされています。未解決事件ものが好きな方にはぜひオススメ。片手でメモをとりながら読むと良いかもしれません。

北森作品といえばこのテーマ、このシリーズ

北森作品の代名詞といえるテーマ、シリーズものも忘れるわけにはいきません。
 まずは骨董から。宇佐見陶子という旗師(店舗や事務所を持たずに骨董の転売をする業者)が活躍する冬狐堂シリーズ。『狐罠』がシリーズ1作目
となります。作品中、殺人事件などの凶悪事件も起こるには起こるのですが、それ以上に骨董の世界が怖い。プロ同士の騙し合いは当たり前、目利
き殺しという罠にかけられたりそれに対する意趣返しをしたり、と最初から最後の頁まで気を抜く隙がありません。
 陶子や彼女の盟友である硝子の格好良さも見所のひとつでしょう。北森作品に出てくる働く女性たちはとにかくタフで素敵。彼女たちが羽を休めながらグラスを手に度数の高いお酒を飲む姿はついつい真似したくなります。

 旗師とは異なり、骨董店を営むキャラクターを主人公にした本もあります。『孔雀狂想曲』の雅蘭堂、越名集治が骨董店主です。この越名さん、冬狐堂シリーズでもちょくちょく顔を出し陶子さんを手助けしたり、振り回されたりしている非常に愛すべきキャラクターです。
 扱う商品も、冬狐堂とは異なり身近な商品が多くなっており読んでいても親近感が持てるのがこの作品の良いところ。主人公の人柄やアルバイト女子高生の明るさもあって、全編比較的軽めのタッチで描かれています。雅蘭堂単体での作品は残念ながらこの1作のみです。登場回数が少ない割りには、越名さんのキャラクターにはファンが多くいらっしゃるようです。ハードボイルドに生きる宇佐見陶子を支える存在としても目が離せません。併せて読むことで面白さも増してくるでしょう。

 次は、北森鴻の代表作と言っても過言ではないシリーズ、蓮丈那智フィールドファイル。 異端の民俗学者の異名をとる蓮丈那智が活躍する連作短編集です。第1作の『凶笑面』に始まり、シリーズとしては5作目までが刊行されています(4作目、5作目は北森の公私にわたるパートナーであった浅野里沙子の手によって完成されたもの)。 多くの物語が、大学に持ち込まれた調査依頼にこたえフィールドワークに出向くところから始まります。行く先々で殺人事件などが起こるのですが、それらの事件は那智が研究している民俗伝承などに関わっている事が多く、那智は怜悧な頭脳を駆使して事件を解決するのです。
 とにかくぶっきらぼうでとっつきづらさのある那智は、助手の三國をしばしば震え上がらせています。一方で、投げかけた問いに対して、答えではなく答えを出す道筋を与えるやり方は、読者を事件に引き込む不思議な魅力になっています。

 締めの1冊に相応しいのは『香菜里屋を知っていますか』でしょうか。
 冒頭で紹介したビアバー、香菜里屋シリーズの最終巻に当たる作品です。シリーズとしては4作目に当たりますが、北森作品にのめり込んだ者としては色々な味わいのある作品です。
 タイトルのとおり、香菜里屋をしのぶ1冊です。馴染みの常連客たちはそれぞれに旅立っていき、工藤マスターがお店を閉める最後の時に向けて物語が進んでいきます。
 そして「香菜里屋」は幕を下ろしました。
 この作品には最終章に表題作『香菜里屋を知っていますか』という、香菜里屋の常連を訪ね歩く、ファンには嬉しい短編が収録されています。冬狐
堂、雅蘭堂、蓮丈、三國など馴染みのキャラクターに再び出会える素敵な仕掛けがほどこされています。不思議なものでこういった綺麗な終幕を迎えたシリーズほど「どこかでもう一度この人たちに会えるかもしれない」と思えるものです。
 2010年1月、北森鴻さんは急逝されました。
「もう一度会える」と思っていたあの人物たちにもう会うことは出来ません。だからこそ、今世にある作品を忘れずに読み続けていきたいものです。北森作品の古びない魅力を一度体験してみてはいかがでしょうか。 

(本の雑誌二〇一五年七月号掲載)

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