【映画レビュー】『秒速5センチメートル』(新海誠監督):はち切れそうに胸が痛む
2016年に大ヒットした『君の名は』の9年前の2007年に公開された、新海誠監督のアニメーション作品で、3話構成になっている。
約束に遅れそうになったときの苦しさ
青春ものに弱い私は、最初の何分か見始めたら、もう涙腺が緩みっぱなしだった。そのなかでも一番心に響いたのは、遠くに引っ越してしまった大好きな女子に会いに行こうとする主人公の中学生男子の乗っていた電車が、大雪によって遅延してしまう場面だ。
男子がさらに遠くに引っ越すことになり、もう二度と会えないかもしれないと思った二人は、久々に会おうしていたのである。
当時は携帯電話もなかった。だからバスや電車が遅れてしまって約束の時間に間に合わないとなったら、なすすべもなく、ただひたすら「どうしよう、どうしよう」「あの人は待っているだろうか」「怒っていないだろうか」と、ただひたすら気をもむしかなかった。私にもそういう経験がある。
雪がどんどん降り積もり、電車が非情にもどんどん遅れていき、約束の時間がどんどん過ぎていく。焦り、もがき、苦しみ、最後にはもうどうしようもないというどん底の境地になってしまう、そのときの心情描写が本当にリアルで、見ていて胸が痛くなってきた。
劇的な出来事が起きるわけではないのだが、もう胸がはち切れそうにドキドキしてした。どうしてこんなにうまく表現できるのかと感嘆した。
新海監督は、このシーンがまず念頭にあって、そこから物語を膨らませていったのではないか。実際にはそうではなかったかもしれないが、作品としてはこのシーンが核になっていると思う。
思春期の恋への冷めた目線
そんなにまでして、好き同士だった二人だが、高校に入り、それぞれの生活を送るようになると、次第に疎遠になっていく。連絡はとりあっているが、結局別々の恋人をつくり、二度と出会うことがないまま、物語は終わる。
非常にきれいな映像で綴られているので、一見きれいなものに思える。しかし、思春期の恋愛など、ある意味おままごとのようなもので、現実に社会を生きていく人生に根づくものではないよ、とでも言いたいようだ。そこには、かなり毒を感じた。
いや、だからこそ、逆に美しいのかもしれない。そういう讃歌としても受け取れる。その両義的ともいえる微妙なアンバランスさが、この作品の魅力でもある。
残念ながら、私には同じような体験がないのだが、私が青春ものが好きなのは、現実社会では通用しないような、もろい透明さがあるからのような気がする。
映像美と主題歌のアンバランス
最後の話は、大好きな山崎まさよしさんの『One more time, One more chance』の曲に乗せて映像が流れる、ミュージックビデオのような作りになっている。
この曲は、好きだと言えなかった人のことを、ずっと思い続けて、どこにいても姿を探してしまう、そしてもう一度会うことができたならと叫ぶ、とても情けなくて哀しい歌である。私は、一時期、同じような感情に浸ってしまったことがあり、口ずさみ続けていたことがある。
そんな曲が使われていたのにも、この作品になんだか運命的なものを感じた。新海監督の美しい映像に見合うような、おしゃれな曲では決してなく、ある意味ぶざまな曲である。そういう曲がテーマになっていることも、この作品のきれいなだけじゃない、不思議にアンバランスな魅力を体現しているように感じた。
知らない作品との出会い
これはきっと好きだと思うと勧められたことで、幸運にもこの作品に出会うことができた。自分だけの世界に居続けたら、見ることはなかったろう。他の誰かと、映画や本について話すことは大事なことだなと感じた。
ふだんアニメをみることが少なかったり、私のような中高年であったり、そういう人にもぜひ見ていただきたいとも思う。
この作品と出会わせていただいてありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?