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【映画レビュー】『ケス』:ケン・ローチが描き出す媚びない少年像

 ようやく観られた。
 ケン・ローチ監督の作品が大好きで、見られるものはほぼ見たが、この「ケス」だけは、レンタルビデオを探してもなくて、観る機会がなかった。
 だから、DVDを買ってしまった。買ってよかった!

何も訴えかけてこない登場人物 

 ケン・ローチ監督が描く人間はどうしてこんなに魅力的なのだろう。といっても、普通の「魅力的」というのとは、種類が違う。何かが違う。
 普通、魅力的というと、観る者に訴えかけて、感情移入をさせるような何かをもっていたりする。
 ケン・ローチ作品の人物はそうではない。むしろ、何も訴えかけない。何も魅力を発しない。感情移入を拒否するような、突き放した描写なのである。
 この映画の主人公の少年ビリーも、まさしくそんな風に描かれている。そして、それがこの映画の何よりの魅力である。

類型化されないありのままの姿

 ビリーが育っている環境は、いわゆる劣悪な環境である。炭鉱の町は、全体として貧しく、大人たちの生活もすさんでいる。品行方正とはまったく言えない。学校の教師たちも、超高圧的で、言っていることもやっていることも無茶苦茶である。
 ビリーはそんな環境に特に反発することもなく、肯定することもなく、ただありのままに受け入れて、その中で生き抜こうとしている。
 いや違う。そういう強い意志は感じられない。ただ、日々を生き延びている感じだ。
 一般的な尺度で言うと、ビリーに特筆すべきところは何もない。何か一つくらい光るものがあるかというと、それもない。いい奴でもないし、悪い奴でもない。ひ弱で強くないが、弱くて虐げられているわけでもない。
 ただ、彼は、卑屈になることは絶対ない。何かに媚びることもない。なんの意志も持っていないかもしれいないが、逆に卑屈になったり媚びたりする意志もない。
 本当にありのままで自然なのだ。全く類型化されていない。作為が見えない。その様子が、突き放したように客観的に映し出される。
 それこそが、ケン・ローチ作品の登場人物の独特の描き方であると思う。

媚びない生き方が美しく結実する

 何も意志のようなものを発しないビリーだが、鷹を育てることに夢中になり、のめり込んでいく。
 ビリーが鷹を育てていく様子は、早回しのドキュメンタリーのように描かれる。劇映画なのだから演出されているはずなのだが、ドラマチックにしようとする作為が全く見えない。それが、ものすごく美しい。
 ビリーは、自分だけの世界を完結させていく。誰にも邪魔させない。触れさせない。介入させない。ケン・ローチが描き出す誰にも媚びない人物像が見事に結実する。
 ビリーは、そこに自分の生きる意味があるかのように輝く。そして、その輝きが残酷にも打ちのめされて、映画は終わりを迎える。 


 イギリスには、ケン・ローチ作品のように、労働者階級を正面からテーマにした映画がたくさんあり、一つのジャンルを作っています。他の国では見られないように思います。なぜなのか知りたいです。
 ケン・ローチの作品はどれも好きですが、それ以外では『ブラス』が大好きです。 

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