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ため息俳句 生活

 冷蔵庫をあけると、バターが三つ収まっていた。
 何ゆえに3っつもと思っていると、尋ねる先に彼女から嬉しそうに説明があった。
「昨日、バターが残り少なかったから補充に1つ買ってきたのよ。ところがね、今朝の(新聞)チラシで、別のスーパーがナンと昨日買った値段の55円引きでね、出ていたのよ。考えられない安さよ。合わせて100円よ。それでついもう2つ買ってきたのよ。これでしばらくはバターは安心よ。」
 というわけだ。こういうのは、カミさんのいつもの行動パターンである。
 世間では戸別配達の新聞購読者が激減しているということであるが、我が家では新聞を止めようという話は出たことがない。その理由の一つにこの折込広告がある。このチラシこそ彼女の買い物には貴重な情報源なのだ。いうまでもない、生活防衛上の情報である。
 そいうことで、彼女は安売りをめがけて多めに買ってきて、食料品のストックを怠らない。味噌醤油ドレッシング白だし即席めん砂糖料理酒珈琲豆紅茶・・・・・・。
 でも笑い話でない。
 小生、こういうカミさんに、そういう消費行動はちょっと変ダゼと、とっと云いたい気もするが、でもやっぱり常にスーパーの食料品価格の一円単位の変動も見逃さないアンテナのはりように敬意を抱いている。
 
 一茶の句である。

 

木がらしに口淋しいとゆふべ哉  文化句帳


 玉城司さんの訳では、「木枯らしが吹くと口が淋しいという夕べになったなあ」と
 さらに解説を聞こう。

凩が吹く夕べ、空腹感が淋しさをいっそう募らせる。「物いへば唇寒し秋の風」(芭蕉庵小文庫)と芭蕉翁は詠んだが、おれはそんな高尚なことよりも、空腹感にさいなまれているのだ、と言いたい。下五「夕べ」は「言ふべ」と問いかける。冬の夕暮れの孤独な独言だがそこはとないユーモアがただよう。

角川ソフィア文庫・玉城司訳注「一茶句集」より

 怠惰で愚図な宿六が口淋しい思いをせぬようにと、我が妻は、西へ東へ、円単位の値引き商品を求めて走るのである。現代版糟糠の妻と言うべきであろう、とか・・・。    

 

あたたむは小春日のみかチラシ視る



今日のブログは、心づもりでは昨日所用帰りに立ち寄った小春日和の森林公園をのんびりと歩いてきた、そんなこと書くつもりでいた。
でも、今日のところはこれで。