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ため息俳句番外#36 調べの快


 散歩中にふと短歌もどきが思い浮かんで、自分のことであるにびっくりした。
 一応ここに残しておく。


今なればうらら春日の沼の辺に鴨ら青める若草を食む  空茶

北へ行く日の近ければならむかし鴨ら交互に声高に鳴く

春の水夕べに向ふひと時を鴨らゆるゆる列なし泳ぐ


とか、・・・。やっぱり、もどきだなあ。
文法も怪しい。
素養のないことがバレバレだろう。
 でも、短歌というのは俳句より、こんなこと言ってはなんだが、「快感」を感じる。いい気分にしてくれる。おそらく、癒しの効果が俳句により大きい。というのが、独断的な短歌観である。
 万葉以来の歌の調べは、自分らの脳みそにしみこんでしまっているのだろう。それは、俳句詠みの方々には、案外厄介なことではないか。

鴨の他にも。