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ため息俳句89 雨蛙
数日前、散歩中に。
B村の神社の境内で見かけた。
蛙なんてどこにでもいそうだが、案外見かけないものだ。この辺りでも都市化はじわじわと進行してる、そんな環境の変化による生息数の減少は確かにありそうだ。
五月野の草のなみだちしづまりて光照りしがあまがへる鳴く
斎藤茂吉の歌である。
自分が見た雨蛙は、鳴いてはいなかった。太い枝につかまってじっとしていた。沈黙の雨蛙は、なんだか句にも歌にも詠まれにくそうでないか。大体において、雨蛙の鳴き声そのものをもう何年も聴いていない気がしてきた。いや毎年梅雨時の頃には耳のしていたのかもしれないが、最後に蛙が鳴いていると認識したのは大分昔のことのように思えた。庭先の茂みから蟇がのっそり現れたりはしたが、雨蛙を見かけたこと、あったろうか。
鳴き声、それもどうであったろう、こういう場合はYouTubeを頼りましょう。
ああそうであった、そんな鳴き声であった。
子どもの頃、家の西南方向に田んぼあって、夏の夜は蛙の鳴き声が枕元まで寄せては返す波のように聴こえていたのを思い出した。
神社で出会った蛙は、眠たげにみえた。カメラのレンズを不躾に近づけても、のろのろと数ミリづつの身をかわしていた、まったくスローモー。ものぐさそうな蛙。
芥川の「青蛙おのれもペンキ塗りたてか」という句を思い出したが、この目の前の蛙の背は、艶のない乾燥気味の肌だと見えた。
もしや、老いぼれ蛙と思ったら、親しみを感じた。
鳴くのは雄が雌を誘うラブコールだという、この蛙が雄か雌か自分には判別できない。
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