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ため息俳句 しろつめくさの広場
今日は、一日雨が降ると云う予報の通りの一日。
さて、時により自転車で少し遠出して、園内を散歩するのを目的に行く公園がある。そこにはまことに広々とした芝の広場があり、その緑が心地よ。広場の周縁に沿ってランニングコースが巡っていて、ランナーだけではなく、老人たちがこつこつとウオーキングに励む姿がある。
休日には広場には若い家族連れがやってきて、すこしだけ賑わう。まだまだここは田舎であるからスペースだけは贅沢なのである。
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もともとは一面に芝が植えられたのであろうが、今はそのところどころに、野草のシロツメクサが進出して島のように増殖している。そのシロツメクサの大小の島が、広場のあちらこちらで花を咲かせている。
シロツメクサは、歳時記によると「クローバー」や「苜蓿」と同じ意味の季語であるとされている。
「苜蓿」とは、(もくしゅく)と読む。
「苜蓿」というのは聞きなれない季語のように感じるが、例えば、こんな句があった。
あひびきのほとりを過ぎぬ苜蓿 山口誓子
君と腹這う苜蓿にて肘よごし 寺山修司
「苜蓿」は、ウマゴヤシの別名と辞書にある。そのウマゴヤシは、こんな花が咲くらしい。季節は、晩春である。
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この花を、自分としてはシロツメクサの花と同一と見るのは無理なのであるが、多くの歳時記が別名としている。
ところで、上の二句の「苜蓿」は、シロツメクサの花のほうが似合うのではあるまいか。
一方はデートする二人の脇をそっと通り過ぎる大人の句、他方はまさしくデートの最中の気負う少年の句である。
この句で「苜蓿」はその字音のではなく、オーソドックに「うまごやし」と読むのだろう。だが、自分としては「うまごやし」もしっくり来ない気がする。「クローバー」では、いけないだろうか。
もっとも、この二句のもともとの出典先に当たっているわけではないから、なんとも言えないのだが。
話は少し逸脱するが、「しろつめくさの広場」と云えば、宮沢賢治の「ポラーノの広場」を思い出す人が多いだろう。あそこでは、シロツメクサではなく、「つめくさ」の灯をたづねてポラーノの広場へと向かうのであった。
そのときはもう、あたりはとっぷりくらくなって西の地平線の上が古い池の水あかりのように青くひかるきり、そこらの草も青黝ぐろくかわっていました。
「おや、つめくさのあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。
なるほど向うの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならび、そこらはむっとした蜂蜜のかおりでいっぱいでした。
「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」
「そうかねえ、わたしはたった一つのあかしだと思っていた。」
「そら、ね、ごらん、そうだろう、それに番号がついてるんだよ。」
わたしたちはしゃがんで花を見ました。なるほど一つ一つの花にはそう思えばそうというような小さな茶いろの算用数字みたいなものが書いてありました。
「ミーロ、いくらだい。」
「一千二百五十六かな、いや一万七千五十八かなあ。」
「ぼくのは三千四百二十……六だよ。」
「そんなにはっきり書いてあるかねえ。」
わたくしにはどうしても、そんなにはっきりは読むことができませんでした。けれども花のあかりは、あっちにもこっちにももうそこらいっぱいでした。
「三千八百六十六、五千まで数えればいいんだから、ポラーノの広場はもうじきそこらな筈なんだけれども。」
賢治ワールド全開のこの場面、たまらないが、この「つめくさ」のことなら自分は勝手にシロツメクサだと決めていた。
しかし、「爪草」という野草もあるのだ。ありふれた雑草であるが、これは「爪」の草と書く。であるれば、シロツメクサというのは、思い違いかというと、それが、「詰草」と書かれると「白詰草」のことなのだと、どこかで聞いたときはやれやれと思ったものだ。
小生の妄想のひとつを云うと、賢治さんのイーハートボは、「ドリームランドとしての日本陸中国岩手県である」とされているのだが、それは違っていて、「イーハートボ」は世界中に遍在していると。自分の住む埼玉北部の哀しいほどに暑いこの地も、「イーハートボ」を幻視できる場所がある、そのひとつが、この「しろつめくさの広場」ではないかと。
・・・、ああ、恥ずかしいことを書いてしまった。今夜の駄文も、とりとめがなくなってきたのでので、やめる。
予報では、午後三時過ぎごろに最も激しく降ってくるといっていたが、雨が上がっていた。
褥せむしろつめの花蜂の声 空茶
広場には理想主義者のハーモニカ
四つ葉とかほどほどにして三つ葉とか