見出し画像

理想的な死

朝は雨であっという間に晴れてきた。

重たい水のエレメントが太陽の光で蒸発すると意識状態も変化する。

水の雰囲気で考えたことが広がり拡散していく。

変性意識状態の中で思うことを書いてみようと思う。

理想的な死とはなんだろうか?

人は生まれて、生きて、死ぬ。

動物も生まれて、生きて、死ぬ。

私は、野生の動物が自然に死んでいる姿を見たことがない。

鳥はどのようにして死ぬのだろう。

たぬきやきつねはどこで死ぬのだろう。

食べられて死ぬこともある。

車に轢かれることもある。

そうではなくて、病気になったり年老いて死ぬときどのように死ぬのだろう。


高い木の枝に止まり、夕日が落ちるのを見て、そのままポトリと地面に落ちるのだろうか。

野生の象のように、死ぬことがわかると、群れから離れて山奥で倒れるのだろうか。


想像するしかないけれど、

自然の中で死ぬのだろう。

自然の中の一部として生きて、大きな自然に戻っていくのだろう。

海の生き物だったら、命が消えると深海に沈んでいくのだろう。

人は動物のようには死ねない世の中になってしまった。

医療システムが死を管理するようになってしまった。

それがいいとか悪いとかではない。


ただ、自分はどうしたいかと考えると、

死ぬときは一人で死にたい。

あの世からこの世にやってきて、

この世からあの世に帰っていく。

生まれることは素晴らしいこと。

生きることは素晴らしいこと。

死ぬことは素晴らしいこと。

死ぬ瞬間を、すべて体験して死んでいきたい。

静かに座って、意識を保って、扉を超えていきたい。


水戸カウンセリングスペース

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?