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24/2/12 現実は違うと思いたい

今年2024年に書いた記事のタイトルの一部が、23(年)表記になっていた。誰からも指摘はない。ま、そんなに興味ないってことだろう。さっきこっそり修正した。

どこぞの知らん人の文章に、興味がないのは当たり前で、「どこの」「誰が」書いたかはとても大事。わかる。私も知らん人、その中でも匿名の人の文章は、よほど興味がある分野でもない限り、いや、興味がある分野でも、ほぼ読まない。

今年は良い人でいるのをやめようと誓ったので、それを貫いているのだが、燃やす目的などなく、正直な考えをポストすれば、私が何者でもなくとも、いいねやリツイート数だけは伸びた。ただそれだけ。だからなんだというのか。

その時話題になっているトピックへの野次馬的興味で、表層に多少のヒビを入れたように見えるポストや、攻撃的なポストにわーっと群がって、ほじくっておしまい。それを繰り返すことに何の意味も感じない。SNSの中でどれだけ考えてポストしようとも、どこの誰か知らん人間の言うことなんて、ホント何にもなりゃしない。そもそも、何とかしようなどと思ったわけじゃないから、それが読み手に伝わるのもあるだろうけど、何だか「食い散らかされた食べ放題の宴席」を眺めるような虚しさしか残らなかった。私には、蟹の足ほじくって貪り食うように見えたよ。

何者かになろうという欲も興味もない。只々、現実世界で自分のやりたいことが上手く行って、関わる人が良い気持ちになってくれたらいい。良い感じでいたい。偉くなんかならなくていい。権力なんて、邪魔なだけだから。生きていけるいくばくかのお金をいただけたら、それでいい。頑張らないわけじゃない。そこそこ頑張るから、そんな感じでよろしく頼みたい。

今年に入って、Xやfacebookは、私個人の興味の枠外の存在になってしまった。まだ情報を得る場としての機能は果たせるのだろうか。私個人の発信の意味は見出せないので、情報収集ツールとして、鍵アカで残している。落語会のアカウントは、落語会の広報媒体のひとつとして、日々コツコツ情報発信を続けていく。

なんだろう、最近のXの、空気は乾燥しているのに、土はドロンと粘りを含んだ湿り気があるような、あの雰囲気は。私はただ、フォロワーのくだらない呟きを楽しみたかっただけで、あの場で何者かになりたかったわけじゃない。現実世界とあの世界は違うと思いたい。

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