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何者にでもなれると思っていた頃の僕へ



僕は、誰かの「好き」を自分の「好き」に育てることしかできなかった。

好きなものを見つけることができない。
僕は典型的な、今どきの若者でした。

たまたま運よく、美術の先生と仲良くなって、
たまたま運よく、インターンシップを始めて、
たまたま運よく、サブカルチャーに詳しい友人に出会いました。

自分で興味のあることを見つけられなくても、
友達が教えてくれる「好き」を自分の「好き」にまで育てることはできていたんだと思います。
人と出会うことで僕は「好き」をたまたま見つけられていたのです。

しかし今、多くの時間を仕事に費やし、毎日同じ人とばかり会う日常を過ごす中で、
僕は自分の力で好きを見つけることができなかったんだということに気づきました。
そして、それを見つけるためのお金も、時間も、満足できるほど僕は持っていないのかなと思っています。

僕はここ数ヶ月、その状況に甘んじて、
出会った人からもらった「好き」だけをかき集めて、「自分はこんなにもたくさん持っている」と甘え、
これだけあれば何者にでもなれるんだ。という根拠のない自信を、抱えてしまっていました。

今回は、この根拠のない自信と、それを失ってしまうまでの間のお話をできたらと思います。



何もできないからこそ、何もできない自分を認められなかった。

きっと全ての始まりは大学2年生の春休み、一人暮らしを始めた時だったと思います。
僕が実家を飛び出して最初に住んだのは、常盤台という横浜にある横浜ともいえぬ街です。
たまたまバイト先の先輩が引っ越すタイミングだったので、その家を紹介してもらいました。
家賃は4万円。家は10畳で1Kと広いけど、最初はカーテンも明かりもコンロもありませんでした。
テーブルと、実家の部屋から持ち出した棚ひとつ、せんべい布団と、あとは積まれた本と一緒に暮らしていました。

一人暮らしを始めてまず感動したのは、家に友達を呼べること。
本当に何もない部屋ではあったけれども、集まれる場所がそこにあるというだけで、
僕には幸福に思えました。
それと何時間寝ていても怒られないこと。罪悪感を押し殺すための言い訳が上手になりました。
壁に好きなポスターを貼って、僕だけの世界に浸れることも最高でした。
お金がないからかっこいいフライヤーを持ってきて部屋に貼っていました。
あとは、朝日で目覚めるのは案外きもちいいということ。
隣の家と持ちつ持たれつなこと。音を出すのはお互い様。

そんなひとつひとつに心を動かされていたのはほんのちょっと間でした。
自由を謳歌した一人暮らしを続ける中で「僕はこのまま毎日、こんな風に生きていていいんだろうか」というきもちで、だんだんと胸がいっぱいになっていきました。

大学に行って、バイトをして、
サークル活動をして、お酒を飲んで、寝て、起きて、
凍えそうになりながら朝シャワーを浴びて、大学に行って。

その繰り返しの中で、僕は自分への期待値をどんどん高めていきました。
僕はこんな人間じゃない。
だって、なんでもできるだろう。僕だから。
なのになんでこんなに悩んでいるんだ。
お金も全く貯まらないどころか、時間すらも足りない。
といった具合に溢れ出てくる自分の理想に対して、現実がまったくついていきません。

何にもしたことがない、何も持っていなかったのに、
自分は本気を出せばもっとやれるという気持ちだけが大きくなってしまったのです。
心の中で僕は、何もかもを見下していたのかもしれません。

この頃の僕は本当に「どうしようもないやつだな…。」と思います。
自分のダメなところや、だらしないところを表出させながらも周囲に受け入れて欲しがり、本当は何もできない。
それを取り繕ってごまかして自分で傷つく、わがままで面倒くさい人間だったんです。

僕はこれを僕らしさと勘違いして、
こんな自分を、曲げることなく受け入れて前に進むことが正義である。とまで思っていました。
そしてこの安っちい僕らしさは、安っちいプライドでしかなく、
何かを生み出せるようなことすらありませんでした。

今思うと、
なんで、何かを生み出して少しでも前に進めばいいというあまりにも単純で簡単なことをわからなかったのだろうと思います。


一人でいる時間が、僕の「どうしようもなさ」を加速させた。

この頃僕のどうしようもなさは際限なく加速していきました。
一人でいる時は、必ず「自分にならできるはずだ」で着地する、しょうもない自問自答を繰り返しました。
そのくせ、大学に行っても一人、飯も一人、寝るのも起きるのも一人。
そんな時間が増えていきました。

加えて、何かを世の中に出すことも、2年近くしませんでした。
焦りだけが日に日に大きくなるだけで。

それからは、一人でいる時間の虚しさからか、スマホを触る機会が増えました。SNSに逃げるという技を覚えたのです。

みんなが遊んでいることに安心して、なにもしていない自分の罪悪感をすりつぶし、アホな自問自答を、深く思考していることだと都合よく捉え、
自分は遊んでいないからまだ大丈夫だと。自意識に水を与え続けたのです。
その結果、惰性の毎日を1年半にまで延ばすことになってしまいました。

きっとこのまま過ごしていたら、僕はなんとなく就職して、
なんとなく生きる大人になってしまっていたんだろうな。と思います。

ただ、大学時代を惰性でなんとなく過ごした中でも一つだけ、
自分の選択は間違っていなかったと思えることがあります。
美術専攻に進んだことです。

美術専攻は、卒業制作といって、
作品を作り上げ、展示を完遂しなければ卒業することができませんでした。

僕の作品のテーマは現実逃避、
なにも考えずに決めたテーマではあるものの、このテーマに向き合い、
自分の中で一つの答えを見つけることが、安っちい自分に別れを告げる唯一の方法だったと思います。
今回制作のことついて書くのはやめておきます。長くなってしまうので。
話を戻しましょう。



タイムマシーンに乗って過去に戻っても、同じことを繰り返すだろう。

そんな本当にどうしようも無い毎日を過ごしていた僕ですが、
この時間は確かに必要だったと、今なら思えます。

この時間があったからこそ、
SNSには活躍している同い年かそれ以下の人たちがいるということを知れました。
そう考えると逆に運が良かったのかもしれません。

彼らの存在を知ったからこそ、
今僕は、中途半端なクオリティのアウトプットを世の中に出し続け、
一喜一憂することができています。

これは自分の才能のなさに向き合うことと同義で、本当に苦しくなりますが、
それでもあの頃の僕より、弱さに向き合っているし、実力に向き合っているし、
現実をひっくり返そうと努力できているつもりです。

今、一人暮らしを始めたこの時のことを思い出すと、本当に恥ずかしくて死にたくなります。
タイムマシーンに乗って過去に戻れるならば、勉強も遊びも、もっと本気になってやっておけよ。と忠告してやりたいです。

けれど一方で、
もう一回チャンスをもらっても、やっぱりあの惰性で生きていたどうしようもない生活をするんだろうなという気もします。
僕の根っこには怠け者が住んでいるので。



弱さを認められる日がくることを願って。

きっとここで問題なのは、あの頃の僕がどうしているかじゃなくて、
今の自分がどう歩めているのかだと思います。

振り返って、こうしていればと嘆くよりかは、
今の中途半端なアウトプットを頑張って、豊かで楽しい人生をを歩んで、
「あの頃はさ」なんて語ることができたらな。と思うわけです。

だから僕は、これからも少しずつ前に進んでいきます。
これを最後まで読んでくれたあなたが、
今、僕の大学生活のような生活をしていてもそれは悪いことではありません。
僕のように、罪悪感や焦りを感じていても、それを悪いことだとは決めつけないであげてくたださい。

どこかで自分の弱さを許してあげられる日がきますし、弱さを認めてからはスイッチが入ったように変わると思います。

そして僕は、何もかもうまくいってきた人よりも、こういうどうしようもない経験をしてきた人が好きです。なんだか憎めなくて、笑

投げ銭くれたら、頑張っちゃいます。

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