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転職・就職後の、「こんなはずじゃなかった体験」をどう扱うか?『置かれた場所で咲きなさい』

前回、わたしが転職したときの不平不満・ストレスをどうしていった?というお話を書いてみました↓↓。今思い出すと笑い話で、なぜあんなにイライラしていたのかと不思議です。



そのあとで、「こんなはずじゃなかった」体験について、気づいたことがあったのでまた書いています。結論から言うと、2つの相反するような考え方をもっています。


1.置かれた場所で咲きなさい

1つ目は、『置かれた場所で咲きなさい』
有名な渡辺和子さんの著書のタイトルです。著者が30代の若さで大学学長に就任することになってしまい、ずいぶんと風当たりのつよい立場で困難を感じていたときに宣教師からいただいた詩からの言葉だそうです。

神が植えたところで咲きなさい
咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです
                         はじめに より引用




未知の慣れない土地で、突然の役職。
こんなにがんばっているのに、挨拶すらしてくれない
こんなに苦労しているのに、ほめてくれない
評価してくれない
労ってくれない…
「くれない族」になっていた著者。
そんな中、宣教師から詩を受けとったことで気づいたそうです。
不平不満をもち、
周囲の人の出方で幸せになったり不幸せになったりする環境の奴隷だったのだと。
そして彼女は「くれない族」をやめました。
まずは自分が変わろうと、
自ら挨拶をし、ほほえみかけ、お礼を伝えるようにしたら、学校は明るく優しくなっていったそうです。
他人と過去は変えられないとよくいいます。
変えられる「自分」の行動を変えてみる。そしたら、相手の行動も変わったという経験をもつ人もいるのではないでしょうか。また、機嫌がよい人の側にいるとこちらまで機嫌がよくなることがありませんか?不機嫌もご機嫌も伝播するなら自分の方からご機嫌をつくるのもよいのだと思います。

ただ…。ただですよ…。わかるけれど…。
そんなに強くいられない。そんな広い心をもてるかしら?
お辛い過去があった方だし、シスターだし、そういう訓練をしていたから、この方だからできることなのでは?と思いたくもなります。
でもそのあたりは、いつも綺麗に咲いていなくていいとも仰っています。(ほっとした)

どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
                          著書p13より引用


確かに、植物を育てるとまず根をしっかり張っているということがわかります。上に上にと無理して伸びても、ひょろひょろして風が吹けば倒れるかもしれないし、自分で自分を支えられなくなるかもしれません。
咲けないな、伸びられないなというとき、誰も気づいてくれないとき、
それどころかお隣の綺麗なバラがちやほやされて気が滅入るとき、そんなときは地上のことは気にせずに、地下に着々と根を張っていろんな養分を吸収しておけばいいですね。



ちなみに、シスターは、環境の奴隷になっていた思考のことを「くれない族」と表現しましたが、わたしは「のに族」に気をつけています。
こんなに働いているのに
一所懸命やってるのに
わたしのせいじゃないのに
せっかく~してあげたのに
という「のに族」
私にとってこの「のに」という言葉は危険信号です。
自分の心に「のに」が続いたら、
さらにそれが進行して口から出てきたら、
一度立ち止まって自分の内側を点検する時
だなと思っています。



2.置かれた場所だからといって我慢しない

「こんなはずじゃなかった体験」に対するもう1つの捉え方は、
「置かれた場所だからといって我慢しない」=「避難する」です。

置かれた場所というのは、神様が(植物を)植えた場所。
でも、当たり前だけど、わたしたちは動ける生物(動物)

陽が当たらない、雨が降らない、土がない、やぎが来て根こそぎ食べちゃう…。
そんな環境で耐える必要なんてない。
とっとと動いて避難しましょう
自分が自分らしくいられない、忙しすぎて心を亡くしてる、生きる希望をなくしている…。
やはり避難です
知らないうちに動く体力さえなくなっていた…。
そしたら静かに休んで、体力を回復させる。
そして避難です

生きるために必要な水がある場所、光がある場所、空気がある場所、心をとりもどせる場所に行きましょう。わたしたちは動けますから。
置かれた場所だからといって我慢しない。

逃げるやつは負けだという考えは不要です。
災害でも避難出来る人が助かります。



3.2つ目の『置かれた場所だからといって我慢しない』に追加したい視点

ただし…5年10年を振り返ってみて
なんとなく、いつも同じことでつまずくなあ。
ずっとずっと、同じようなことで悩むなあ。
そういうときは、一度立ち止まってみるといいと思います。
そこに自分が次のステージに進むためののりこえるべき課題が隠されているかもしれないから。
人生から問われている課題は、
うまく回避しても、姿形を変えてやってくることがあります。
「はいこれ課題ね♥」
「あはは、すり抜けたつもり?あなたできるからね。はいこれ♥」
と神さまが出しているような気さえします。
もしかして、神さまから与えられた課題?と少しでも思えたら、
「置かれた場所で咲きなさい」の考えにもどって、
くれない族になっていないか?のに族になっていないか?と自分に立ち返って点検する機会だとわたしは思うようにしています。

けして、不平不満を言ってはいけないということではなく、その不平不満の正体をみてみようということ。
自分の凝り固まった価値観がないか?〇〇すべき、〇〇ねばならないと決めつけていないか?なにかを恐れていないか?そういったことを優しく点検するということです。

さいごに

置かれた場所で咲こう
居場所は自分で選びましょう

どちらの視点もいい塩梅で、もちつづけていられるといいなと思っています。
他人や環境のせいにして、愚痴ってばかりで不機嫌不愉快でいたいのか。逆に、無理にして過酷な環境に適応しようとして自分を窮屈にしたいのか。

なんか上手くいかないな。というときは、どんな自分でいたいのか?たずねるようにしています。

おわり。


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