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非常識にもほどがある。それでもなんとか産業保健師の道にはいれたときのおはなしです。

去年お会いしたナースさん。産業保健師に興味があると話していらしたけど転職活動していて、今度面接だそう。そんな彼女に偶然再会して、
あ…わたしも転職したのだと思いだしました。(当たり前ですけど)
10年以上前なので立派な「昔」。
そして、どなたかの参考にはならないでしょう。でも振り返りに書きます。


もともと産業保健師になりたかった!

高校で進路を決めるときに、産業保健師いいかもと思ったのが看護職になるきっかけ。健康に働くということに携わることがいいなと思った。
ただ、3Kとか7Kと言われる看護師(病棟看護師をイメージ)にはなるつもりは(全く)なかった。
でも、看護学校で学び(ちゃんとしてない学生だったけど)、実習させてもらい、患者さんに出会ったことで、看護師になって病棟で働きたいと自然と思うようになっていた。
そして、看護の道にすすむきっかけになった保健師については、保健師実習中に、「この仕事は、年とってからでいいや」と思った。(当時の話です。無礼をお許しください)


病棟ナースまっしぐら

若いうちに看護師やるぞ!と意気込みつつ、辛いことは嫌だったので、系列大学病院の中でも3次救急のメインどころではなく2次救急の病院に就職した。(だって働いている人が笑顔だったから)
けれど、配属先は院内でも評判のシビアな病棟。厳しいけれどちゃんと看護をしようとする先輩たちに囲まれ、4年間やりきった。
そして最後は厳しくて怖い看護師さんになってしまっていた。
きっとあのままいたら、もっとものすごい迷惑をかけていたと思う。(当時のドクター、ナースさんたちごめんなさい)


ゆるく生きることを覚えて放浪ナースに
完全なフリーター

そんな厳しくて怖くて自己中心的の極みだったわたしをゆるませてくれたのが、当時流行っていた海外留学(というか遊学)で訪れたシドニーでの生活。
ホストファミリーや、愛すべきいいかげんな友人達、言葉が思うように伝えられないのに、頑張ってコミュニケーションをとろうとしてくれる街の人たち。優しさをたくさんもらって、自由に生きるひとたちにも会えて、少し価値観が拡がったのだと思う。
帰国後は自由に働きたくて、派遣登録をして、修学旅行の添乗、健診、病棟夜勤などしながら、働きたいときに働き、行きたいときに行きたい国へ行くという放浪生活をしていた。(★この経験がゆくゆく開業することにつながる)
そんな生活が2年も続いた20代後半、ふと立ち止まって「あ…産業保健師になりたかったんだ」と思い出した。


就職なめてた社会常識ない人

わたしの就職活動はひどいもの…
まず、お勉強なんてしなかった。産業保健師に必要な知識技術を学習しようなんて考えもしなかった。
面接すればいいんでしょ?みたいなノリ。(ひどい…)
だから、今転職活動のためにイベントに参加したりお勉強している方々をほんとうに尊敬します。

とはいえ、私も考えた(というほどでもないけど)。当時、特定保健指導もストレスチェックもなく、応募なんて極わずかだし経験者のみ。その中で、産業カウンセラーの有資格者だったら、未経験でもOKという求人があったので、それしかないと受講することを決めた。この決断は早かったと思う。結構いいお値段したので、海外行くのをやめて必死でバイトした気がする。たぶん転職エージェントもあったはずだけど、存在を知らなくて使わなかったのよね。

自業自得の大失敗
産業カウンセラー講座を申し込んだけれど、講座開始を待つ間に募集があったので応募。大型接客業の事業所。お客様の急病対応もあるので看護師OK。
しかし…
なんと、スーツを着ないで行った(非常識にもほどがある)
なのに、奇跡的に一次面接通過して、人事との最終面接へ。

そのときに上司となる方から言われた。
「採用は決まったようなもので、面接はあなただけですよ。一緒に働きましょう」
そして面接当日。
なんと、余裕かまして迷子になり遅刻(おばかさん)
面接は、わたしのいい加減さが炸裂して不採用。
一次面接してくれた上司になるはずの方の慌てぶりはすごかった。
本当に申し訳ありませんでした。
そして、人事の方、さすが人を見る目がございます。

救ってくれた労働衛生機関
大失敗により、スーツを着ること、遅刻しないこと、考えて話すことを学ぶ。(浅い)
当時、労働衛生機関がなんなのかもわからずにいたけれど、
とにかくこの世界に入らないとはじまらないと思っていた。報酬が高くなくても、有名どころではなくても、片足だけでもその世界に入ればいい。
確か、常勤1名の募集だったけれど、行政経験のある保健師が常勤となり、
わたしは非常勤として採用。でも悲観はなく、空いた時間でバイトできるし、ナースをやめなくてすむなあと思ったのを覚えてる。(★これも開業へとつながるポイントになる)


反省だらけだけど失敗もいい

 私のように何も準備しないで転職しようとするなんて人はいないと思うけれど、やはり情報収集とか専門知識の準備は必要だと思う。共通言語をもっているとスタートしやすいし。
でも、情報収集に明け暮れて、何が正解なのか迷いすぎて行動が遅くなってしまうなら、とりあえず行動もいいと思う。失敗したなと思ったら修正すればいいのだから。


良きご縁だった

結局、この労働衛生機関に10年以上お世話になった。
社会常識ないまま入社したし、それはそれは生意気だったので(今も)、周囲の方にご迷惑をかけまくった。それでも毎年契約解除せずいてくれたのは上司の懐の深さだと思う。複数の事業所を担当できたし、たくさんの事業を経験できた。その間、検査、情報処理、営業…他部署の方々にも沢山たすけてもらった。組織外の大学の先生方や保健師さん、今でもお世話になっている産業医にも会えたし。私はこの労働衛生機関に縁があってよかったなあと思ってる。ここに勤めていなかったら、今のように独立してなかったかもしれない。



(振り返って気づいたこと)

選択って大切。そして選択を助けてくれるのが「自分の感覚」
思考や正解を求める判断ではなく、やりたい!好き!嫌い!という
「自分の感覚」に繊細でいること。

だいぶ大人になった今、大事にしていることは、
そういう自分の感覚に素直であること。
~すべき、~ねばならないことが多い社会にいると、
つい、頭で考えて、正解を求めて、自分の感覚を無視してしまいやすいから。
自分が心地よいか?よろこんでいるか?
自分の声に耳を傾けて、優しい眼差しをもって、
日々選び続けられますように。





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