【警笛】マルハラは国家衰退を加速する

文章の組み立て、構成力は俯瞰力に影響を及ぼす。

以前読んだ苫米地英人氏の、「リーダーシップ」に関する著書に、そのような内容があったと記憶している。

日本を代表する脳科学者、苫米地英人氏によれば、リーダーシップに不可欠な俯瞰力を高めるには、文章を構成する脳を磨くことが有効であるということだ。

つまり、逆説的に言えば、文章の構成力の低下は、俯瞰力の低下に繋がると言えるのではないか?

俯瞰できない国民が増えれば国家は衰退する。


マルハラ*に配慮し、年長者が現在の日本語として誤りである句点(。)を排除した文章を使えば、若年層に正しい文法が分からない人々が増え、現在の「日本語」は崩壊する。

短い切れ切れの文章に組み立ての能力は不要だ。そうして俯瞰力も低下する。


一部の才能豊かな日本人においてはそのようなことはなかろう。予測できるのは、能力の格差が生じること。

分かりやすく言えば、日本が、リーダーシップを取る少数と、深く考えることのない従順で貧しい一般市民の集団になるということだ。リーダー達にとっては、争うことのない貧しい集団はコントロールしやすく都合の良いことだろう。

しかしながら、それは発展途上国の構成に類似する。

バブル期の日本においては、所得が平均以下の国民であっても中流意識を持っていた。そして実際にそれらの人々は世界において中流以上であった。


今、世界における日本の地位が下降している。

このままでは経済力のみならず、能力においても下降線の一途をたどることとなるだろう。

発展途上国などにおいて、文字の読み書きができない国民が存在することに驚く日本人が多くいる一方で、その本人も気づかぬうちに「読み書き」に程遠いレベルに落ちつつあるという驚愕の事実がある。


実をいば、国家衰退を助長するこの「マルハラ」という現象を声高に取り沙汰することに「悪意」すら感じるのだ。

なぜならこの現象は日本に致命的なダメージを与えるに違いないから。

海外に長く住む私にとって、「深い多面的な考察」は、他国民に類を見ない、日本人の特性であり、日本人として誇らしく思うところだ。

「マルハラ」に感化された年長者が「日本語」という文化の継承を止めれば、この素晴らしい日本人の特性も無くなるだろう。


ここ数年、同年代の友人から「最近は言ったことしかできない、全て事細かに説明しないとできない日本人の若者が多い」との声を聞くことが増えた。この傾向は、つまり俯瞰力の低下の表れではないかと思っている。

しかしながら、世界においては「言われたことだけをやる」のがスタンダードで、気を利かせてプラスαという行動を取る者は多くない。

戦中、小さな島国が大国にとって脅威となったこと、また戦後、日本が世界において経済大国へとのし上がったことの背景には、他国に類を見ない俯瞰力による「深い多面的な考察」が、日本のスタンダードであったことが関係するのではないだろうか。


あなたが若く、人生を「従順で貧しい一般市民」で終わらせたくないのであれば、「深く考察する」脳の使い方を心がけることだ。
そのトレーニングの一つが文章の組み立て、構成である。


あなたが年長に属するのであれば、甘やかすことの危険性を知ること。甘やかすことは、相手の成長のチャンスを奪うことに他ならない。ひいては日本の衰退を助長するのだ。

そもそも、近年では日本における「ハラスメント」の使い方に誤りがある。今回のケースにおいては、法的な意味を持つのではなく、単に「強い感じがする」を表しただけのこと。

メッセージに句点を使い、訴えられることはない。


日本の世界における地位向上を唱えることも大切だが、衰退を防ぐことにも注力が必要なのではなかろうか。

「マルハラ」という安直な情報で、自らを程度の低い文章に下げることは必要なのか?
若年層からの反感を表面的に避けるより、相手への尊厳により理解を試みることの方がはるかに建設的だ。
心からの笑顔で気持ちが通っていれば「。」により関係が壊れることはないだろう。
そんなことで壊れるような関係には、そもそも何かしらの問題があるのだ。


情報を鵜呑みにしないこと。本質を見極めること。


*マルハラとは、主に若年層において、SNSやテキストメッセージなどで句点(。)の使用により、相手に威圧感を与えてしまうことを表した造語。

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