【西郷さんとシドニー 2】出会い

西郷さんと明子夫人に初めてお会いしたのはちょうど1年前の今日、2021年5月30日のこと。

日本の大手旅行会社のシドニー支社長、阿部さんからの突然のお誘いだった。


「今度の日曜日、お時間ありますか?」

との阿部さんからのメッセージに二つ返事で「あります!」と即答。

私は物理的に不可能な場合とスカイダイビングなどの恐怖体験以外は全て「Yes」と答える、母からYes manと呆れられる性格だ。


その後、阿部さんから詳細を聞いた際には、西郷輝彦さんとのディナーという予想外のイベントに心底驚いた。

西郷輝彦さんが癌の治療でシドニーに来られるということはニュースで知っていたが、なぜか「会えたらいいな…」などと思っていたからだ。


今にして思えば、数多くの有名人が訪れるシドニーに長年住み、それらの人達と「会いたい」と明確に思ったことがなかった私が西郷さんに対してそう思ったことは何かしらの予感であったのかもしれない。




肌寒さを感じる5月下旬の夕刻、阿部さんの懇意にするレストラン、シドニーで唯一、美味しい手打ち蕎麦を出すニュートラルベイの「新橋」へと足を運んだ。


待ち合わせの時間より少し早く到着した西郷さんご夫妻と阿部さんがレストラン奥の個室、掘りごたつ風のテーブルにちょうど落ち着いたところに私と、この日のディナーに列席することになっていた千葉さんが到着した。


奥に控える「大御所」の様子を伺うように、恐る恐る入り口から入室する。

西郷さんは静かに凛と美しく座していた。

その横にお人形のように可愛く明子夫人が寄り添う。

第一印象はまるで聖人のようだった。

白髪に白いパーカーという出で立ちは一見ヨーロッパの聖職者を思わせる。

「畏れ多い」その近寄りがたさは人を寄せ付けない雰囲気ではなく、敬意からの畏れであった。

私のスクリーンの向こうに記憶する西郷さんは若いままだったけれど、年齢を重ねた西郷さんは白髪とシワがありながらも以前にも増して美しい。

内面からの美しさは外見をも包み込んでしまう、人の美しさとは、その佇まいの美しさであるということを実感した。

「お待たせして大変申し訳ございません。初めまして。船越瑞恵と申します。あの…畏れ多くてそちらへ行けないのですが…。こちらの端の方で結構です。」

私が感じたままに畏敬の念を伝え、列席することに躊躇すると、恐縮し奥へと進めずにいる私に西郷さんと明子さんがにこやかに応じた。

「何言ってるの。どうぞどうぞ、こっちへ。」

手を上にあげて軽く振り、「気にすることないよ、そんなバカなことを言わないで」、と言いたげな表情をしている。

こういう素人の反応には慣れているのだろう。

我々の緊張をほぐすように、意識して自然に接してくれているようにも感じる。

ビールに始まり、この日阿部さんが持参したハンターバレーのワインなどを飲みながら、出てくるお料理の一品一品を「美味いなあ〜」と眉間にしわを寄せて皆に同意を求めるあの視線を送りながら、実に美味しそうに、嬉しそうに召し上がる。

こんな風に美味しそうに食事をする人はそうそういない。

「美味いなあ〜」は食べ物を美味しく仕上げる魔法の言葉だ。

共に食事をする人がこの魔法の一言を口にすればたちまち料理に旨味とコクが増すのだ。

西郷さんはそれを知っているかのように料理、そして我々にも魔法をかける。

かなりの品数が出ていたから、食事からデザートに至るまで軽く3時間は要していただろう。

そんな長い時間であったにも関わらず、初対面の我々の会話は終始途切れることなく楽しく盛り上がった。

本来であれば若輩者の我々が気を使うべきであるのに、「人」に器用な西郷さんは有名人のちょっとした面白い話しを交え場を盛り上げてくれる。
現在の滞在先について尋ねると「ホーンテッドなんだよ」と実に面白そうにその様子を話し、我々を笑わせてくれる。

14日間のホテル隔離中は著名人であるにも関わらず特別扱いは何もなく、通常通り不自由であったらしいこと、情報を共有し助けてくれた隣室の日本人のことなど、誰もが意外に感じることも多々あった。

実を言えばこの後に西郷さんのYouTube チャンネルに公開された隔離の様子では、1月に私が日本からの帰国の際に隔離であてがわれたホテルの一室よりもグレードの低い部屋のようだった。

西郷さんなら少し根回しをすればうまく良い部屋も提供されただろうに、特別扱いがないことを不思議に感じたのだけれど、それがなぜかはその後西郷さんに接するうちに理解に至った。

大御所の俳優が皆そうであるわけではないだろう。むしろ逆である場合の方が多いに違いない。

西郷さんは見下すこともなければへりくだることもない、しかしながら全ての人を等しく尊敬、尊重する方なのだ。

話していて、何の圧力も感じない。

しかしながら偉大さがにじみ出ている。

そんな西郷さんの人柄に自然と敬意の念を抱いた。

西郷さんの気の利いた会話、阿部さんと千葉さんのユーモアに富んだ話し、西郷さんの傍で本当に可笑しそうに声を上げて笑っている明子さん。

いつまでも続いてほしい終始笑いの絶えないディナーは驚くほど大きな直径10センチの雪見だいふくというデザートで締めくくりとなった。

人数分を頼んでしまった我々は絶句。

お互いにまだ遠慮のある関係の我々は「すごいね〜」などと言いながら頑張って平らげ、それが今となってはちょっと面白い思い出のひとつとなっている。

思えばこの日のディナーは縁が縁を呼んだ出会いであった。

西郷さんと阿部さんの北海道の共通のご友人を介しての出会い。

私と阿部さんの共通の香港人の友人を介しての出会い。

千葉さんと阿部さんの香港での出会い。

千葉さんと私の20年来の仕事上の繋がり。

全てが奇跡のように繋がり、紡がれていた。

西郷さんが人とのご縁を大切にする方だから、また新たな繋がりへと広がってゆくのだろう。

心までしっかり満たされたディナーの終わりにはシドニーのプチ観光を約束してお開きとなった。

西郷さんご夫妻と阿部さんと共に近くのバス停まで行くと、程なくしてシティ行きの黄色い2階建バスB1が到着した。

シドニー観光をオファーしたものの、次回の再会があるのかどうかの確信はなく、少し名残惜しい気持ちで3人が乗ったバスを夜の街に消えるまで見送った。

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