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日記 #91

 生きがいを見失わないために。

 多くの人が「生きがい」を欲しがっているように見える。「何もしないで過ぎていく休日に焦燥感を覚える」「仕事にやりがいを見出だせない」といった話をよく耳にする。これらはひとえに「生きがい」を見つけられていないがゆえに発せられる言葉だと思う。

「生きがい」が無いと無駄遣いがやめられない。つまり、やりたいことがそもそも存在しないから、生活を維持するために必要な経費を切り詰めることができない。こうなると貯蓄ができず、いざ「生きがい」を見つけたときに、「金が足りない」という切実な問題に陥ることになる。

「生きがい」を見つけるためにはどうしたらいいか。それはもう、自分ひとりで考え抜くこと。これに尽きる。まず、スマフォの電源を切る。インターネットも新聞もテレビジョンも見ない。外界との接続を断つ。そうして孤独に身を浸して、自分をしっかりと見つめ直す。そうして自ずと浮かび上がってくるものにこそ、生きがいという光明が見出だせる。

「生きがい」は他者に依存していないほうが良い。たとえば友達とワイワイ騒ぐことだとか、何かしらのレジャに興じることだとか、そういった「他者に依存した生きがい」は、他者が居なくなった途端に崩壊する。つまり構造的に脆い。他人を自分の意のままに動かすことはほとんど不可能だから、余程のカリスマを備えた人でない限り、「他者に依存した生きがい」を求めるのは賢明な選択とは言えないだろう。

「そうして見つけた生きがいなんて、しょせん自己満足じゃないか」と思われる方もいるかもしれない。だが、自己満足で何かいけないことはあるだろうか。自分の人生の楽しみと他者の人生の楽しみの間には、なんの相関も無い。もし、自己満足な生きがいのために生きている人を見て批難したくなるのであれば、その姿勢(僻み根性とも言う)こそが他者に依存した生き方をしている証左である。

 少し話が逸れてしまった。「生きがい」を見つけるためには、孤独の中で考え抜くこと。別に、実際に山奥まで行って、仙人のような暮らしをしなさい、と言っているわけではない。ただ、そういう暮らしをすると仮定した場合、自分が何をするだろうかと夢想するわけだ。この夢想には多いに価値がある。

 それでも思い浮かばないという人は、とにかく本を読んで勉強すること。本を読んで勉強し、自分の興味のアンテナを高く広く張ること。そういった意味で学校の勉強というのは、それなりに意義が認められる。多くの人が必要ないと感じる音楽や美術といった科目が残っているのはこのためだろう。

 また、他人に話を聞くことも有効だ。その際は可能な限り孤独な人にインタビューするのが良い。孤独な人は自己満足な生きがいを見つけている可能性があるからだ。そういった人に生きがいを尋ねてみて、自分もそれを真似してみる。「憧れ」というエネルギィを利用して、自分を高いところまで引き揚げてもらうわけだ。別に、その人と同じ道を歩む必要はない。高いところに居たほうが、自分の歩むべき道も見えやすくなるというだけだ。

 心の底から楽しんでいることは、人に自慢したりしないものだ。他者に認められることが、自分の感じる価値に影響を及ぼさないからだ。そういった意味で、先の「孤独な人にインタビューをする」というのは難しいかもしれない。孤独な人は他人にも分かるようなシグナルを発しない。

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 と、ここまで自動書記で書いてみた。自分の頭に思い浮かんだ事柄を、ただひたすらに書くだけ。コピィ&ペーストはせず、バックスペースだけで文章を整えた。

 頭に浮かんだ通りに文章を書いているから、内容は支離滅裂かもしれない。けれど、その支離滅裂ささえも、面白いなと感じる。こういった、一見して無駄に思えるものに価値を見出だせるようになったのも、最近のことである。これは老化だろうか、成長だろうか。

以上

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3/7の作業ログ
作業時間1時間
作業内容1,200文字執筆

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