地図と楽譜

記憶と思考の整理がてら。
どうでもいいですがこのタイトル、『地図と拳』を想起させますね。
(見事に積読の山の一部になっていますが)


楽譜に対する印象

以前の記事でも少し触れた話題ですが、基本的に私は楽譜を読めません。
ト音記号で、シャープもフラットもなくて、五線譜の下にくっついてる音符だから「レ」かな……?くらいのレベルです。

そんな私が初めて自発的に買った楽譜が昨年のNコンの課題曲の楽譜でした。
失礼ながら元々楽譜に対してはお堅いイメージしか持っていませんでした。様々な優雅なシンボルが散りばめられていて、イタリア語やフランス語での指示で溢れていて……といった感じに。

そこに「『初めましての』mf」、「カッコよく!」などの指示がされていたのを見て少なからず衝撃を受けました。こんなに自由な表現ができるのかと。こんなに親しみやすいものだったのかと。見事にお堅いイメージをぶち壊されました。
今年の課題曲の楽譜の指示も面白かったですね。『明日のノート』の「frustrante!」には思わず笑ってしまいました。

その旨を学生時代からの友人に伝えたところ、『京都人の夜景色』という合唱曲の楽譜をいただきました。
お互いに京都に縁があった者同士だからこその選曲だとは思いますが、そこにはNコンの楽譜よりもさらに自由な表現が各所に散りばめられていました。

うーっ、ひゅーっ、などという空中に漂う囁き/唸り声
千年の都に巣くう異界/魔界をフト覗き見たように。

千原英喜・村山槐多『混声合唱のための 京都人の夜景色』、2016、全音楽譜出版社、8頁

ここまで来ると大変な想像力や表現力を求められそうですね。
少なくとも一朝一夕で演奏できるものではなさそうです。

演奏を聴きながら読んでいると、実際のものとは別の『京都』が目に浮かぶような、見えてはいけないもの・触れてはいけないものに取り込まれてしまいそうな感覚がとても新鮮でした。

これ以降、好きな演奏(合唱)を聴くと映画のパンフレットのノリで楽譜を買うようになってしまいました。とても楽しいのですがお財布にはよろしくないのでちょっと考えものですね。

表現手段としての楽譜と地図

地図も割と堅いイメージを持たれがちですが、そんな方は空想の地図を読んでみると面白いかもしれません。ファンタジー小説の地図で物語の解像度が上がった、という方も多いのではないでしょうか。

こちらは架空の都市の地図を描かれている方のサイトです。架空の都市を地図に認めるだけでなく、架空のチェーン店のシンボルや特徴まで細かく描かれています。
このような純粋に楽しむための地図もあるということも知ってもらえれば幸いです。

奇しくも先に紹介した楽譜・地図のどちらにも特定の『空間』を楽しんで表現するための手段である旨が記されていました。

京ことばのイントネーションを識らない人であっても、鴨川のほとりをそぞろ歩いたことのない人であっても、この曲で自由に感じ、遊んでいただきたいとおもうのである。(中略)音楽は素晴らしき幻想空間への誘いである。さあ、自分の“京都”を声で描いてみよう。

千原英喜・村山槐多『混声合唱のための 京都人の夜景色』、2016、全音楽譜出版社、2頁

地図は、多くの人にとって、乗換検索や図書館の蔵書検索サービスのような、目的のものを取り出すための巨大な情報倉庫でしかありません。空想地図は、こうした実用的な目的がないので、見る人ははじめて想像で全体像を眺める、絵として眺める経験をします。複雑な事象を表現するのに、文章、絵画、ダンス、演劇、映画…等、表現手段は色々ありますが、「地図」もまたひとつの表現手段です。

https://imgmap.chirijin.com/howto/ : 2024年5月17日を参照

以上のことを踏まえると地図も楽譜も、捉えどころがないものを表現して、読む人を導いて(楽しませて)、形あるものとして残すという点においては似た者同士なのかもしれません。

おわりに

小学校に地図帳や桃鉄で地図を好きになって、大学で地理学を専攻して、ほんの少しだけ地図に関係する仕事に就く。そんな地理・地図を中心にした人生を過ごしてきました。だからこそ同様の性質を持つ楽譜にも惹かれてしまったのかもしれません。

この熱がこれからの人生にどんな影響をもたらすのか、どんな結末を迎えるのか。今はまだわかりませんが、地図も楽譜も勉強しつつ、もうしばらく気の赴くままに楽しみたいと思います。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。