「ギャップって悪いこと?」 アボカドについて本気出して考えてみた話〜自問自答ファッション×イメコン
こんにちは!みず乃です。
二つ前の記事で、私がアボカドに人見知りしちゃう話をしました。
そこから数日アボカドが私の頭から離れず、想いを募らせすぎた結果、今日もアボカドを題材に私がファッションにおいて考えていることを深掘っていこうと思います。
↑のnoteの内容を簡単に要約すると、
・イメージと実際に口にしたときのギャップ
・熟れ具合によって毎回食感がちがう
といったギャップやギャンブル要素から、
私がアボカドを前にすると身構えてしまい、出方を窺ってから口にしてしまう(≒人見知りをしてしまう)
ということを話しています。
これだけ見ると、
「内面と外面にギャップがあるとダメなの?」
と思う人もいると思います。
今日したいのは、「そうじゃないんだよ」という話です(あくまで私の意見です)
人からの見られ方と、実際の自分がちがうなどの悩みがある方は、ぜひ↓の記事にも目を通していただければうれしいです!
私が感じるアボカドのギャップは、ざっとこんな感じです☟
・熟れ具合によって、食感が毎回ちがう(口の中でイメージどおりの反応をくれない)
・話には聞いていたけど、想像の何倍もクリーミーな味わい
・↑に反して青い香り
・野菜に見せかけて実は果物
人間誰しも、〝ギャップ〟というものはあるものです。予想・期待に対する裏切りと捉えられることもありますが、魅力に働くことももちろんあります。
では何がよくて、何をマイナスに感じるのか。
私は
・そこに〝軸〟があるか
・ブレがないか
が大事なのかもしれない、と思い至りました。
たとえば、
私の姉は見た目はかなり甘く、可愛らしい雰囲気で、いちごショートケーキやチューリップ、お花畑がよく似合います🌷🍰
そんな姉は、チャキチャキ動き回るタイプで、子どもの頃から周りを巻き込んで動くのが得意。
見た目だけだと、にこにこしながら甘いお菓子を食べているお姫様、動くとしてもお花畑の中を軽やかに駆けそうな、「危ないよ!」と言いたくなるそんなイメージです。
たしかに外面と内面にギャップがありますが、姉はいつだって一貫してこうなのです。
なので、知った人からすると、
姉のギャップは
「いつもの」で、個性で、姉らしさなんですよね。
前回のアボカドのnoteで私は↓のように書きました。
イメージのしやすさは親しみやすさに。
予想を裏切らない一貫性は安心感に。
言い換えると、
ブレない確固たる軸があれば、たとえそこにギャップがあっても、人はそれを魅力や味に感じてくれる。
なぜなら、人はイメージに合うことに親しみやすさを、一貫していることに安心感を覚えるから。
「ギャップはあるけど、そこがらしさだよね」
と思ってもらえれば、マイナスにはならないのでは?
それが、〝ギャップ〟について私が出した答えです。
これが会うたびにコロコロ変わる、気分や機嫌によって変わると思われるとたしかにマイナスに働くかもしれませんが、
それすらもわかりやすい人は周りに愛されたりしますよね。それも「この子は電池が切れるとこうなる」「いつものこと」と周りが感じているからだと思います。
(もちろん度が過ぎれば愛想を尽かされるでしょうけど)
あれ?ということは、もしかして私が嫌だったのって、ただの「ギャップ」じゃなくて、口に入れるまでわからない「ギャンブル要素」だったのかも?
自問自答ファッションが、なりたい自分を実現するため、自分らしいコンセプトを確立することを推奨するのも、
パリ流ファッションスタイル診断が、似合うテイストに合うその人らしいキーワードやキャッチコピーを受診者にくれるのも、
自分らしさや個性、ブレない確固たる軸を通すことで、
意志や意図のない選択を極力なくし、
ギャップも「らしさ」や「個性」に昇華できる、旨味や味に感じてもらえるというメリットがあるのではないかな?と思いました。
本来の趣旨と違うかもしれませんが、私はそこに大きな可能性を感じています。
「え〜〜毎回意志や意図がないとダメ?ときめきも大事にしたい」
というのももちろんありです。「ときめきを大事にする」という軸を据えるのもわかりやすいですが、
確固たる軸を持っている人がめずらしく「ときめいたから」とお買い物していたら、いっそうときめきという素敵な響きが際立ちますし、そのギャップがとっても魅力的じゃないですか?
自問自答コンセプトはこの次のノートで扱いたいので、一旦置いておいて(ほんとはいま話したい!)
私がイメコン人生で一番納得したSalon萠さんのパリ流ファッションスタイル診断のこちらの結果、
↑の結果は、私の
・「似合う」がまず大事
・会う人/行く場所に合わせた服を着ます
という内面も反映してくれています(似合うものがかなり幅広いため、それが前提にあってのものですが)
もしも私に「似合うがまず大事」という軸がなければ、相手や場所に合わせて毎回違う服を着る(似合う/好き/なりたいは度外視)となって、
「あれ!なんか毎回印象が違うね」「合わせてくれるのはうれしいけど、着たいものはないの?」「心意がわからない……」と思われてしまうかもしれません。
ですが、似合うを元に
・個性的な装飾性がある
・上品で女性らしい
・親しみやすさとゆったり感
・ギュッと詰まったコクのある甘さ
がある服装を軸に据えていれば、
幅広いものを楽しみながらも、一貫した私らしさ、個性をいつだって出すことができる。
確固たるブレない軸があるからこそ、日によって変わる部分を「味わい」として楽しんでもらうこともできるんじゃないかな?と思っています。
要は、どこを軸にして、どこを幅のある味わいとして押し出すのか?がギャップをおいしく味わってもらう秘訣なのではないでしょうか?
きっと、私がアボカドに人見知りしちゃうのは、私がアボカドの心意がわからないから。
どこに自我があって、何を自分の魅力に感じて、何を押し出したいのかがわからない、意図や意志を感じられないからだと気づきました。
(アボカドは主張できないのでしょうがない)
・熟れ具合によって、食感が毎回ちがうのを個性と感じているのか
・クリーミーな味わいに自我があるのか
・バターにはない青い香りをよしとしているのか
・野菜に見せかけて実は果物なギャップをよしとしているのか
アボカドの目指すところ、自問自答の行く末が気になるところですね。
もしかしたら柔らかい実の真ん中にある硬く大きな種(強い内面?)に自我をもっていて、桃やマンゴーと肩を組んで「わかります!」「柔らかく見られがちなんですけど、それがすごく嫌で……」と分かり合ってるかもしれません。
目指すところ、軸にしたいところは人それぞれなので、それはアボカド次第です。
もしもアボカドがイメコン民で、何より「人においしく食べてもらうこと」をよしとしているのに、食べる人によって魅力とするところや、振り分けられる分類が毎回違って困っているなら、
ぜひアボカドのもつ幅広さやまろやかさ、少しの青さをSalon萠さんでの診断拾ってもらって、
その味を活かせる調理法を教えてもらってほしいです。
(何を言っているんだ?は今に始まったことではないので、ここではなしでお願いします)
またとりとめもない話をしてしまいました。
私が伝えたかったのは、
自問自答やイメコンを突き詰めて、自分らしさや個性、確固たる軸となる部分を自覚し、ファッションやふるまいで表に出せたなら、
ギャップを旨味に、「おいしい」にできるんじゃないかな?と。マイナスに捉える必要はないんじゃないかな?ということです。
ということで、もしもギャップに悩んでいる方がいれば、「軸となる部分」を探すために自問自答やイメコン結果の落とし込みを一緒にがんばれたらうれしいです。
長くなりましたが、私なりに「アボカドについて本気出して考えてみた話」でした。
せっかくなので、迷えるアボカドに読んでほしいnoteを載せておきます。
今日もお付き合いいただきありがとうございました🥑🥑🥑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?