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門出にエールを

先日、大学を無事卒業した。
4年間のうち半分がコロナ禍だったせいもあってか、本当にあっという間だった。体感としてはまだ2年生くらいなんだけれど?ついこの間まで受験生だった気がするんだけど!?

しかし年末年始を半狂乱になりながら卒論に捧げた記憶もしっかりあるので、どうやら本当に卒業してしまったらしい。学位記もある、卒業証明書も成績表もある。

卒業おめでとう、わたし。

このnoteのアカウントを作ったのは、4年前の今頃だったような気がする。色々と書いては消して、書いては消して、今に至る。ちょっと読み返してみたら何だか全部後ろ向きな話しかして無くて笑った。

改めて4年間色んなことがあった。
初めての一人暮らし、1年間付き合った恋人、バッサリと切った髪、課題やギャラリーのためによく行った銀座、友人らと行ったロイヤルホストやカラオケ、旅行、就活。

人を励ましたこと、励まされたこと。
言ってしまった失言、言われた心無い言葉。
出会うことが出来た好きな人たち、
出会ってしまった苦手な人たち。

大きなことから些細なことまで、全部ひっくるめて私には必要なことだった。輝いて見えた景色も、思い出したくもないことも、今となっては恥ずかしくなってしまうような日々たちも、全部懸命に生きていたと言える。

私は懸命に、生きていた。
私の人生は私が決めると舵を握った4年間だった。

去年の私が、4年生になる直前に書いたnoteの締めくくりが「来年はもっと良い方向に向いてますように」みたいなものだった。今その返事をするなら、

「1年経ってもどうにもならない事はどうにもならなかったけど、ちゃんと生きてるよ」

と書く。
私はお世辞にも世渡りが上手いとは言えないし、要領も良くない。ついでに言うと頭も良くない。
そのせいで去年の君が思うより事は上手く運ばなかった。ごめんね。

だけどちゃん生きてるよ。
ちゃんとどうにか歩こうとしてるよ。
楽しいことは続けられているし、今後のことも考えてる。去年より好きな物は増えたし、出会った人も多かった。

こうやって最終的に前を向こうと思えるようになったことが4年間で1番の成長かもしれない。

学位記の授与が終わってから、みんなでダラダラと話したり写真を撮ったりして過ごした。
1、2年の頃に散々ダラダラとみんなで集っていたラウンジ。袴や着飾ったお互いを褒め合ったり、進路のことを話したり、お世話になった先生方や助手さんたちと話したり。

そうして、いつもみたいにいつの間にか散り散りになってラウンジから出ていく。

「またね」

と言って。
さも当然のように、極々自然に。
明日もまた授業で会えるような感覚で、みんな各々の道を行くのだ。

これが今生の別れになるだろう人だって多かっただろうに。あの日を最後に、あの子がどんな人生を歩んでいったか誰も知らないなんてこともざらにあるはずなのに。

そんなことを、私が1番知っているのに。

人間関係は簡単なことで解れていってしまうから、この人とは繋いでおきたいと思うならそれなりのアクションが必要だ。そんなことは嫌でもわかっている。この23年間でいくつも繋ぎ損ねた縁があるから。


だから、これからも繋がっていく縁にも、解れてしまう縁にもエールを送る。
あわよくば、またどこかで会えますように。


4年間お疲れさま。
卒業おめでとう、私たち。

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