推しに手紙を書こう
どうも。花粉症の足音が聞こえる…。
皆さんは手紙を書いたことがありますか?
最近はSNSのおかげで、遠方の人とも気軽にメッセージのやり取りが出来るようになりました。
ポストに行く手間もなければ、大した金額をかけることなく長文を送ることも可。
それに何より、24時間365日、何時でも何処に居ても即座に相手に言葉が伝わります。
電話の発明も画期的だったとは言いますが、こういったコミュニケーションツールもどんどん短縮化に向かう時代になりました。
さて、では全く手紙というものがなくなったのか? というと、
実際そうでもありませんね。
年賀状もなんだかんだ送る人は送っていますし、儀礼的なものでなくとも、場合によっては便箋と封筒を用意することに意味があるパターンも。
あとは、そう。"わざわざ手間を書けて気持ちを伝えたい相手"とか…。
そう、それは推しです。
皆さんは推しに手紙を書いたことがありますか?
例えば、宝塚歌劇団は、自分の贔屓にお手紙をしたためる文化があります(長年のファンにもなると演目を観劇していて気付いたことの"ご指摘"を送る場合もあるようですね)。
所謂ファンレターではありますが、宝塚では手書きのものの方が今でも通例化している印象です。
その界隈には詳しくありませんが、アイドルやアーティスト、お笑い芸人やタレントなどに対しても、ファンレターとは封筒と便箋によって成り立つものは令和においても少なくありません。
それは
手間を書けている感=熱心なファンであること
のようなアピールにもなるのかもしれませんが、それ以前に、便箋や封筒選びのセンスや言葉遣いにも、書く人の個性と性格が出るからこそだと思います。
ところで、この私もファンレターを便箋と封筒で書いたことがあります。
誰に書いたか、というのは秘密にしておきますが、実をいうと…。
推し(二次元)に手紙を書こう
キャラ宛の手紙。架空の存在を対象としたアプローチ。二次元にしか存在しないキャラクターへの好意からくる行為。
痛々しいと言う人もいるでしょう、ええ、ええ、そうですとも。
しかし、私にとっては、これほど真剣に何かに取り組むという行動もそうそう出来ないのではないか、というほどでした。
「二次元キャラ」と呼ばれる者達は、物語が見えないところで何をしているのか?
それは、私達の想像だけに委ねられてしまいます。
もちろん、神である原作者の決めるところが全てという考えもありますが、綿密に何から何まで作者の頭の中のものが表に出てくるわけではありません。
更にいえば、近年の二次元アイドルブームにより、受け取り手である私達に対して二次元のキャラクターがアプローチするという文化が、従来の乙女ゲー・ギャルゲーの枠を超えて、より幅広く浸透してきました。
そうなると、もうそもそもの企画論を論じてもあまりキリがなく、ファンが自由にキャラクターの環境を見出だすことが重視されるようになります。
私は
とあるキャラクターの、一生懸命なところが大好きで、それでいてちょっとわがままになってしまうところも、人間らしくて好き!!!!!
を、純粋にキャラクター宛に手紙に書きました。
結果、今更読み返そうにも恥ずかしくて死にそうなのですが、後悔はしていません。
明日、これによって得られたメンタル的な効果について書こうと思います。
note始めて8日目ですが、明日に話題を持ち越すのは初ですね。
今日はそんなところでしょうか。
お疲れ様でした。
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