見出し画像

降臨

5月12日(日)に下北沢SHELTERでDJ後藤まりこのワンマンライブ、《 光/光/光 》がありました。VJはTSV+Motomu.Miuraということで、ドラッギーな曲にドラッギーな視覚効果が乗算されて、わたしはもう完全にキマっておりました。
この記事のタイトルが「降臨」で、「ドラッギー」とか「キマって」とか書いてていろいろアレですが、よくも悪くも言葉というものは無責任なところがありますよね、たぶん。
わたしは少し前まで、自分は言葉を使うことにこだわりがあるタイプだと自分で勝手に思っていました。子どものときは活字などろくに読んだことがなく(たぶんエンデの『モモ』くらい?)、国語も苦手でした(漢字は別)。それが、高校生のときにノベルゲームにハマったことで小説などを読むようになり、その何年かあとには文学部に入り卒業もできたわけですが、わずかながら作文分析をしたり小説を書いたりしながらうすうす感じていました。わたし、いろいろ下手だよねと。たとえば小説を書くときには構造、内容、文体などに執筆者は注力するわけですが、そのどれをとってもイマイチでした(言葉に限らず、そもそもなにかを上達するための地道な努力を積み重ねていくことができないただの怠け者という話もありますが……)。
おそらく、言葉を操るのがうまい人ほど「自分が頭の中で感じていることや思っていることと、それを表現したときの言葉とのあいだに生じる差異が小さい」のだと思うのですが、わたしはずっとこの差異が大きいと感じているのだと思います。文学部に通っているときはそれが小さい気がしていました。「それだよそれ!」という、考えていることと表現したことが合致している感覚、「はまった」感覚を味わっていたように思います。けれど、それはただ無知なだけだったり、錯覚していただけなんじゃないかなと思っています。

なにが言いたいかというと、そんなわたしにとって、音楽は言葉と違って「はまる」んです。わたしがどうとかっていうよりも、程度の差こそあれ人間は基本的にそう感じる傾向にあるのかもわからないですが、わたしが音楽を聴いているときに感じる快感や救済されるような感覚というのは、その「はまり」の効果なんだなと思うわけです。閉塞感という壁をハンマーで打ち砕いてくれるような。
人間、基本的に言葉を使って物事を考え日々を生きる生き物だと思うので、そういう意味ではわたしは生きているだけで「なんかそうじゃないんだけど……」というストレスに対処しなくちゃいけないわけですけれども、そういうのをすべてとっぱらってくれるのが音楽であり、好きな音楽であればあるほどその爽快感というのは大きい。そしてわたしは後藤まりこさんの音楽を心底好いているので、そんな後藤さんのライブ、しかも今回はVJがギンギンということで、キマらないわけがなかろう。後藤さんが両手でマイクを高く掲げ、タメてから、一気にぐんと下にマイクを下ろすと同時に叫びだすところとか、「それ!!」って感じです。

後藤まりこさんの音楽、本当にすてきなので、聴いたことがない人はぜひ聴いてほしいしライブにも行ってほしい。実はきょう14日にもあるし(当日券あるかしら)、なんと今年の10月にはフリーライブも! 後藤さんのTwitterを要チェキ

【写真を2枚ほど】

下北沢SHELTERの入口と5月12日のライブ内容が書いてある看板。
DJ後藤まりこワンマンライブが終了したあとの下北沢SHELTERの舞台。がらん。


【おまけ】
東京を離れるとき、東京駅にてチップとデールを発見。Noixとのコラボらしい。

Noixがチップ&デールとコラボ。キービジュアルだと思われる。開店前に撮影。
こちらも開店前。シャッターの両端が木に見立てられ、そこからチップとデールが顔をのぞかせているという設定のイラスト。

ご支援いただけますと大変助かります。生活費ほか、わたしが生きていくうえで必要なものに使わせていただきます。