「この世界の片隅」から
昨年より、「この世界の片隅に」という映画が公開されています。
こうの史代さんが描かれた同名の原作を劇場アニメ化した作品で、
戦時中、広島・呉に嫁いだ”すずさん”と、その家族、町の人々の日常が、緻密な考証によって描かれています。
この作品に深く感動してしまい、ついつい繰り返し観てしまいました。
兵士の視線から語られるのではなく、
今の自分たちの視線で戦争を追体験したような感覚を覚え、
改めて、今までとは違った意味合いで、
忍び寄るように日常に溶け込んでいく戦争を恐ろしいと思いました。
さて、最近観た映画にもう一つ、塚本晋也監督の「野火」という作品があります。
「この世界の片隅に」とは対照的に、
この作品では最前線に送られた兵士の視点で物語が進んでいきます。
尽きる食料、自死する同胞、そこらじゅうに転がる亡骸と、
まるで地獄絵図のような凄惨な場面が多く映し出されます。
以前の私なら、恐ろしいことだと思いつつも、
いつ死ぬかわからないという恐怖と戦った経験がない以上、
どこか他人事のようにこの映画を捉えていたと思います。
しかし、「この世界の片隅に」を観てしまったが最後、
この死んでいく自分と年の変わらない兵士は、
数年前まですずさんたちのような暮らしをしていたかもしれない
と気づいてしまうのです。
ついこの間まで家族でご飯を食べ、
しょうもないことで笑っていたはずが、
今は吹き飛ばされ、地面に落ちた右腕を、
同じく右腕を吹き飛ばされた同胞と取り合いをしていたり、
機関砲で腹部に開いた穴から零れ落ちる自分の内臓を、
ただ呆然と見つめたりしている。
戦地に赴かなかった人々の暮らしを知ることで、
その光景も、それと地続きのものであると、繋がってしまうのです。
「この世界の片隅に」は現代と戦時中の暮らしを繋げただけではなく、
他の作品によって描かれた戦時中の現実も、
残酷なほど鮮やかに繋げてしまった作品なんだと感じました。
今年も夏が来ます。
熱にのぼせず、冷えた頭で、自分はどうあるべきかを考えようと思っています。
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