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すべての強者は弱者になる ~上野千鶴子氏の東大祝辞の続きに驚いた話~

NHKの「最後の講義」という番組が好きで、毎回放送されるときは録画して観ている。「もし今日が人生最後の講義だとしたら、何を伝えたいか…」をテーマに各界の第一人者がメッセージを送る番組。これまでの講師は福岡伸一氏、みうらじゅん氏、西原理恵子氏、出口治明氏などで、毎回感動しながら自分自身の生き方を問い直す機会になっている。先日、上野千鶴子氏が講師の回を視聴したときのこと。賛否両論を巻き起こした2019年の東大祝辞について触れていた。

祝辞で話題となったのは次のフレーズだ。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

後日、上野氏は様々な人から「ノブレスオブリージュ(社会的地位が高い者の責務)ですね」と言われたのだという。それに対し、「冗談じゃないよ。切り取りじゃん」と思った、と言う。曰く、この祝辞には続きがあった

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

上野氏はこんな意味を込めたという。人間は、いつまでも強者じゃいられない。そもそも人間は無力な赤ん坊として生まれてくる。他者(多くの場合は母親)に依存し、他者の力を借りながら育ち、最後はまた無力な高齢者となり、他者(介護や支援してくれる人)に依存する存在となっていく。強者はずっと強者でいられない、最後は必ず無力で依存する存在になるものだ。だから自分の、そして他者の弱さを受け入れることが大事なのだ、と

これを聞いて、180度といっていいほど印象が変わった。ちょうど自分の父親が要介護になったり、母親が難聴を訴えたりと明らかに身体的、知的な衰えを目の当たりにしていた私にとって、「最後はまた無力な高齢者となり、他者に依存する存在となっていく」という言葉は心に刺さった。世の中には、強者と弱者、支える側と支えられる側がいるのではない。一人の人間が一生をかけて、時に支え、時に支えられる。だから、支えることを厭わず、支えられることにも遠慮する必要はない。全てはお互い様だから。そんな風に考えられたら、もう少し寛容な社会に近づいていく気がする。もちろんそんな単純な話ではないし、持続可能な社会システムの構築は不可欠だ。それでも、現在誰にも依存せずに生きていると思っているすべての人が「自分もいつかは他者に依存する存在になる」と認識しながら生きることができれば、自分自身への謙虚さと世の中への感謝、そして現在“支えられる側”にいる人への想像力を持つことにもつながるはずだ。

と書きながら、そもそも“支えられる側”という言い方をしていることすら違和感を抱いた。誰かの支えがないと生きられない人も、その笑顔や感謝が誰かを癒しているかもしれない。介護サービスの利用者だとしたら、介護従事者の仕事や介護製品の需要を生み出している。一見受動的に見えることでも、相互に影響を与え合って成立しているのが人間社会だ。そう考えると、全ては単に関係の質と量が違うだけ、と相対化することができる。それがたとえお金や社会的価値と評価されなかったとしても、存在していること自体が社会に影響を及ぼしているわけで、強者や弱者という言い方そのものが一つの角度から焦点を当てているに過ぎない表現なのかもしれない。

上野氏は「最後の講義」の最後にこう言っていた。
「私は認知症予防という言葉が嫌いです。親が認知症にならないことを目指すのではなく、認知症になっても安心して暮らせる社会を目指したい目指すべきは、安心して弱者になれる社会です。」「こんな世の中にしてごめんなさい、と言わなくて済む社会を手渡したい

親には認知症になってほしくない、と思ってしまう私は未熟なのかもしれない。いや、安心して認知症になれない現在の社会環境をまずは何とかするしかないのだろう。理想は高いが、自分がもし認知症になったら、と考えると、そうなっても安心して暮らせる社会が一番に違いない。安心して弱者になれる社会。こういう社会に近づけるために小さくとも自分ができることをしたい、と強く思った。

<あとがき>
余談だが、東大は上野氏の祝辞を全文掲載しており、またこの祝辞がメディアやインターネットでも賛否両論が巻き起こったことを受け、東大生により構成される東京大学新聞社は、東大内外の学生約5,000人にアンケートを取り、分析結果をまとめていた。東大のこういうところ、素敵だと思う。

■平成31年度東京大学学部入学式 祝辞

■東大入学式2019・上野祝辞アンケート分析


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