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人物バンド解説「スタンリータレンタイン」

日本語の本やファンサイトのないミュージシャンの紹介や解説をしていく解説企画の第8回目(多分)は本日が誕生日のスタンリータレンタインを紹介します。


経歴

 スタンリータレンタイン1934年4月5日つまり90年前の今日、石炭と鉄鋼の町ペンシルバニア州ピッツバーグで産まれました。彼の父親のトマスタレンタインシニアはキャノンボールアダレイにも影響の与えたアルト奏者アルクーパーのバンドであるサヴォイサルタンズのサックス奏者、母親はストライドピアノ奏者、兄のトミーはトランペット奏者と音楽一家でした。同郷にはアートブレイキー、ホレスパーラン、ジョージベンソン、ポールチェンバース(ただし産まれてすぐにデトロイトに引っ越したためデトロイト出身と言われる事もあります)がいます。
 14歳でサックスを吹き始め52年に18歳でレイチャールズのバンドに、53年にサックス奏者のアールボスティックのバンドになんとジョンコルトレーンの後任として参加、ブルースミュージシャンのローウェルフルソンのバンドにいたようです。またこの頃にはリトルウォルターのバンドにいたアルバートアイラーとも交流があったそうです。その後徴兵されるとそこで正規の音楽教育を受けました。ただしこの頃の詳しい経歴はハッキリしないので間違っている可能性や違う話がある可能性もあります。

 転機になったのが1959年26歳の時でこの年に軍を辞めると兄と共にドラマーのマックスローチのバンドへの加入。いままではR&B的なバンドとは異なりガチガチのハードバップバンド。しかもマックスが固定バンドを組むのはクリフォードブラウンとの双頭バンド以来のことでハードバッパーとしての腕を磨き当時のローチバンドをバックに兄弟2人とも初のソロアルバムを作ります。ただしトミーは1960年リリースだったのに対してスタンリーは何故かお蔵入りされてリリースはブルーノートで人気になった1963年になります。タイミング的に出す予定はなかったけど人気になったし便乗で出したら売れるだろうみたいな判断が見えないこともないです。

 スタンリーはジミースミスのレコードでサイドマンとしてのブルーノートでの初吹き込みを行ったところ(お蔵入りしたディジーリースの録音が先とも)ブルーノート社長のアルフレッドライオンにその演奏を気に入られます。急遽録音したホレスパーラントリオをバックにしたファーストアルバムを皮切りに自身のルーツを活かしたブルージーなハードバップを披露するほか、ホレスパーラン、アートテイラー等サイドマンとしての演奏も多くミュージシャンとしてのキャリアは順調そのものだった半面、麻薬にハマってしまいブルーノート社長はもちろん、副社長のフランシスウルフ、経理を担当していたルースメイソンにもお金を無心していたそうです。

 しかしこの時期から一緒にいることが多かった2人のキャリアは大きく変わります。トミーは60年代中盤頃まではホレスパーランや弟、ルードナルドソンのレコードでその演奏を聴けますが、それ以降はフリーシーンやロフトシーンに身を投じたらしく散発的にアーチーシェップやサンラと共演することが確認できるも録音からははっきりした彼の活動は追えません。どうも70年代頃には主流から目を背け世捨て人のような活動をして80年代には若いミュージシャンの演奏するクラブに飛び入り参加して若手を演奏でコテンパンにする道場破りのようなことをしたり、路上パフォーマンスをしていたそうです。

 一方スタンリーは60年代中盤からソウルジャズやビッグバンドを配したポップなジャズを多数吹き込み人気者になります。ブルーノートは制作費を掛けられなかったことから3~4色刷りのジャケットが多かったにも関わらず早いうちからフルカラーのジャケットが使われていることからも人気が伺えます。オルガン奏者のシャーリースコットと結婚したのもこの頃です。彼女はプレスティッジにいたため契約の都合でスタンリーはスタンターナー、シャーリーはミスリトルコットの偽名を使って互いのアルバムに参加していますがしばらくすると本名でクレジットされています。でもプレスティッジのミュージシャンがブルーノートのレコードにサイドマンで参加したりその逆もよくあるので結婚の匂わせではないかなと思ったりもします。その後も仲良く?一緒にレコードを作っていましたが音楽の方向の違いを理由に72年に離婚しています。

 ブルーノートを離れるとインパルスやマイナーレーベルから1枚アルバムを出し1970年にCTIへ移籍。この頃になるとよりソウルフルな演奏に磨きがかかっていきます。自身の楽曲Sugerをヒットさせている他、ジョージベンソン、フレディハバード、ヒューバードロウズらとのオールスターズやフレディハバード、ハービーハンコックとのレギュラーバンドなどレコードのアレンジに負けないくらい豪華な活動を行います。しかし音楽上の制約の多さを嫌ってファンタジーへ移籍、続いてエレクトラへ。しかしこの2レーベルでのレコードはCTIと対して変わらないかそれ以上に用意されたオケに合わせて吹いたような演奏が多いので制約の多い云々というのは周りの人が勝手に言っているように思います。ただこの時期は再発や配信が行われていない物が多いのが残念です。この時期にはマイルスデイヴィスよりも高いギャラをもらったこともあったようでこれ以降ジャズ界一ギャラの高いミュージシャンと呼ばれることになります。他にも出待ちのおばさんがいたとか、ステレオタイプのジャズミュージシャンらしい格好で小難しくない演奏をすることがプロモーターに気に入られたなんて逸話も目にしましたが厳ついようで童顔な顔立ちや無骨な演奏と聞きやすいバッキングはおばさん人気が出るのも納得ですし、確かにこの時期きっちりスーツをきたフュージョンミュージシャンは珍しいように思うのでありそうだと思います。

 80年代後半には再び古巣のブルーノートへ。この時代にはスムースジャズから懐かしいハードバップまで多くのスタイルで演奏しています。リーダー作はもちろん旧知のジミースミスやフレディハバード、スリーサウンズ解散後には一時消息を絶ったジーンハリスのサイドマンも務めたほか、ジャズフェスのオールスターバンドへの参加や同世代から若手まで多くのミュージシャンのレコードに豪華ゲストの1人という立ち位置での客演等でも存在感を示しました。2000年に66歳で亡くなりました。過去のアルバムがレアグルーブやクラブジャズ等で再評価が進んでいたことを考えるともう少し長く健康であれば面白い作品を若手と作っていたかもしれません。

音楽性について

 本人の演奏はイリノイジャケーからの影響を受けたハードバップスタイルが基本で時代ごとにざっくり分けるとマックスローチバンド時代からブルーノートに入りたての頃はハンクモブレーのようなブルージーだけど軽い音色のハードバップスタイルで中盤から若干ソウルフルなトーンへ。70年代になってからは豪快なソウルフルなサックスへ。80年代以降は若干パワーダウンしたものの相手によって豪快なトーンからバップ的なスタイル、歌うような演奏と器用なプレイスタイルをみせています。

 バックの演奏は初期はピアノトリオをバックにもうワンホーンいたりいなかったり。もうワンホーンはだいたいトミーがメインです。60年代真ん中からシャーリーのオルガンがメインとなったほかジミースミスとも相性が良かったようで彼のアルバムにも多く参加していますがなぜかスタンリーのアルバムにジミーが入ったものはありません。60年代中盤には制作費をふんだんに使ったビッグバンドやストリングスがバックになることもあります。この時はピアノでハービーハンコックやマッコイタイナーが参加しているのが興味深いです。オリヴァーネルソンやデュークピアソン等豪華なアレンジャーがついているのだからその気合が見て取れます。
 
 CTI時代はホーンセクションやストリングスをバックにしたものからスモールコンボまで幅広く、ファンタジーはCTIと同じくらい、エレクトラはボーカルの代わりにサックスを吹くようなソウルやファンク風の演奏でバックの演奏の質やスタイルで当たり外れが分かれます。それ以降はバックを選ばずスムースジャズから昔ながらのバップまで幅広く演奏しています。よくスタンリータレンタインに限らず黒人のブルース色の強いテナー奏者というと何でも豪快だの男らしいなどという人がいますが常に豪快な演奏をしている訳ではなく吹き流す“ストラッティン”なトーンも多いので先入観を捨ててもう少ししっかり聴いてほしいと思わないでもないです。

ディスコグラフィ

多いのでこれを聴けば良いというもの、個人的に気になるものをピックアップしました。なおミュージシャン表記のないものはスタンリーのリーダー作、ミュージシャン表記があるものはそのミュージシャンのリーダー作です。ほとんど未紹介ですがいつか必ず紹介します。

My Heart At Thy Sweet Voice/ Cracked Ice(アールボスティック)
これだけはシングルでアールボスティック楽団の曲で唯一スタンリーの名がクレジットされています。またトランペットで兄トミーとブルーミッチェルもクレジット。My Heartはジャズとムードミュージックと歌のないR&Bの中間のような曲でCrackedはブリブリのアドリブがかっこいいジャンプナンバー。ジャズとは言いがたいですがこれもまたジャズであるのです。

The Man
お蔵入りしたファーストアルバム。スタンリーの演奏というよりハンクモブレーの演奏を聴いている気分になります。

Back At Chiken Shack(ジミースミス)
記念すべきブルーノートでの初吹き込み。これよりも有名なMidnight Specialと同じセッションですがスタンリーのファーストアルバムにも収録されたオリジナルMonor Chantが収録されているのでこちらを推します。

Look Out!
スタンリーのブルーノートでの初ソロアルバム。Us Threeを吹き込んだばかりのホレスパーラントリオをバックにブルージーなハードバップを披露しています。

Blue Hours
こちらはスリーサウンズをバックに吹き込んだ一枚。よりブルージーでメロディをじっくり聴かせるような演奏です。

That’s Where At It
NYに来ていたレスマッキャンをバックに2枚を吹き込んだ内の一枚。もう一枚はレスマッキャンのリーダー作In New Yorkとしてリリース。スリーサウンズ、レスマッキャンLTDときたらラムゼイルイストリオとも吹き込んで欲しかった。

Prayer Meetin'(ジミースミス)
個人的にジミースミスとの共演で最高だと思っているのがこのアルバム。ラテンやゴスペル等バラエティーに富んだ演奏です。

Midnight Blue(ケニーバレル)
不健康なくらいブルージーな一枚。全ての曲にはいませんが存在感を見せつけ不健康なムードをさらに不健康にしています。

Hustlin'
シャーリースコットとの良い意味でいつも通りのソウルジャズ。ただしロイドプライスのトラブルやドヴォルザークの家路、オリジナルと選曲の面白さではこれが一番です

Cherry
ミルトジャクソンと共演。コーネルデュプリー、ビリーコブハムらをバックにウェルドンアーヴィンの曲を取り上げCTIにしてはダーティーで不健康なサウンド。

Don’t Mess With Mr.T
サドメルバンドからホーンセクションを引っ張ってきたビッグバンド的なサウンド。しつこいくらいにダジャレを効かせた選曲は好みが別れるか?

Betcha
エレクトラ時代から。ジーンペイジのアレンジでデヴィT、ワーワーワトソン、ジェイムズギャドソン等が参加。ボーカルのいないソウルでジャズ、フュージョンとして聞くにはきついけどソウルが好きなら気に入るはず。

Off The Top(ジミースミス)
ジミー、スタンリー、ジョージベンソン、ロンカーター、グラディテイトと気心知れた仲間との同窓会セッション。60年代と比べて緩すぎるという意見もあるが緩さもまたソウルジャズの醍醐味。

Plays Stevie Wonder
スティービーワンダーのカバー。キーボードといいドラムといいこの時代のフュージョンですがSir Dukeのすごさに持って行かれます。

参考文献


Wikipedia英語版、日本語版
Discogs
各種ライナーノーツ(岩浪洋三、上条直之、いソノてルヲ)
愛しのジャズメン2 小川隆夫 著 東京キララ社 2007年
ジャズアルバム大全 佐藤達哉 著 PHPエディターズグループ 2022年(note版の記事も参考にさせていただきました。)

過去記事


CTI時代のアレンジャー兼レーベルメイトのボブジェイムズ

スタンリーと似たようなスタイルの奏者

スタンリーとはまた違ったファンキーなキャノンボール