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【芸人失格】最終話 〜芸人失格の巻〜

2021年1月10日...

自分の人生全てを賭けた、
R-1が始まりました。

『41歳でR-1優勝』すると、
事務所に入る時の履歴書に書きました。

その勝負の41歳で迎える、
R-1グランプリです。

ただ、全く予想しない、
未来が待っていました。

それが、『人生』だと思います。

『神様』の書く『シナリオ』は、
いつも自分の想像を遥かに超えます。

それだから、『人生』は面白い。

まず、COVID-19の存在です。

2021年になっても、全くもって、
収束の気配がありませんでした。

COVID-19が、収束するまでは、
ライブに出るのを控えようと、
決めていたので、R-1の調整も、
難しい状況ではありました。

ただ、時間はあるので、
沢山お笑いを観て、
沢山ネタを作って...

R-1を勝ち抜く、
強いネタを作ろうと、
考えていました。

ところが、台風で被災して、
1年が経過していましたが、
影響はまだ残っていて...

自身が『面白い』と思えるネタが、
全く書けなくなっていました。

それでも、非情にも時間は流れます。

今回のR-1は、最後の大会と、
決めて居た大会なので、
もし、いいネタが出来なかった時は、
これまでやって、1番良いネタを...

早い段階で、『シャッフルネタ』を、
する事に決めました。

『シャッフルネタ』は、
3、4分がベストな尺なので、
R-1予選仕様の2分ネタにするのは、
リスクがあると、思ったんですが...

自分の有ネタで、2回戦を、
突破出来そうなのが、
『シャッフルネタ』しか、
浮かびませんでした。

ただ、準備は、進めていましたが、
何か??おかしかったです。

2021年のR-1から、
1つ大きな運営の変化がありました。

出場資格、芸歴10年未満まで、
という運営の変更です。

自分は、11年休業している時期が、
あるので、ギリギリ参加資格があり、
後、1回はまだ、出れる状態だと思います。

そして、今回のR-1を1つの区切りとして、
これから先、1つの決断をしました。

R-1決勝の日を1つの節目として、
『作家』に転身する事に決めました。

『自伝』を書く事も決めました。

それは、R-1を優勝しても、
決断は、変わらなかったと思います。

2020年が半年過ぎようとしても、
COVID-19は収束する気配がまるで無く、
いつの間にか、11月になり、12月になり、
それでもR-1へのスイッチが、
自分の中で、切り替わりませんでした。

それは、1回戦の前日になっても、
何も変わりませんでした。

前日、借りてたスタジオに入り、
ネタの練習してみて、
ネタ時間を測ってみたら、
まさかの2分半ありました。

些細な事かもしれませんが、
30秒のズレはかなりのズレ、
これまでのR-1では、
まず、あり得ない事でした。

そこまでは、自身の経験から、
『体内時計』が、しっかりあって、
『2分ネタ』『3分ネタ』『4分ネタ』
測らなくても感覚でわかっていました。

それが、狂ってる感があったし、
かなり削って、何とか2分ネタに、
収める事が出来ました。

それでも、不思議と焦りは無かった。

これまで、R-1の1回戦は、
9割方1回戦は突破していたし、
東京来てからも、4年連続で、
1回戦を突破していました。

もちろん、今回も、
1回戦くらい、余裕だろ??
と、内心思っていました。

当時も、R-1の1回戦では、
珍しく、夕方のブロックに振り分けされ、
時間的に余裕があったので、
昼間スタジオを予約してましたが、
目覚ましもセットせず、
いつも通りにお酒飲んで、
寝ていました。

すると、起きると、
昼間の2時、スタジオの予約時間を、
遥かに超えて居ました。

電話には、スタジオからの、
着信がかなり入っていて、
慌ててキャンセルの電話をし...

寝過ぎで重たい体を起こして、
カラオケボックスに、
練習しに行きました。

カラオケボックスは、
スタジオと広さが違うので、
本番を想定した練習は出来ず、
テンションもさほど上がらず、
声出しがメインで、
本番当日の練習としては、
かなり緩いモノとなりました。

それでも、1回戦くらい大丈夫だろ??

と、思っていました。

R-1の1回戦の会場へ行くと、
やはり、自分の知っているR-1とは、
全く違う大会のようでした。

初めて来る会場、初めて見る出演者、
COVID-19の時期なので、
検温や署名などもあって、
すごい不思議な空気でした。

寝過ぎなのもありましたが、
まだ、夢の中の出来事のようでした。

楽屋も、居る場所が指定され、
R-1あるあるの、やはり『巻き』で、
着いて、着替えて、すぐ本番でした。

自分の出番は、
そのブロックの3番目の、
出番でした。

袖で、会場の様子を見てましたが、
お客さんもあまり入れてないのもあり、
ウケがあまり聞こえて来ず...

いやーーーーな予感がしました。

この感じ何かに似ていると、
思いました。

それは、約14年前...

この大会で、結果が出なければ、
『辞める』と決めたR-1の感じに、
似てると思いました。

それを、思ったら何か??

笑えて来ました。

この感じダメな時だな。

と、思ってしまいました。

『お笑い』を長くやってると、
今日がウケる日か、スベる日か、
わかるようになって来ます。

昔なら、気合いを入れ直して、
何とか持ち直すんですが...

知り合いが応援に来てくれてるのは、
わかってたんですが...

『熱量』が無かった。

全くテンションが上がらず、
ウケたんか??スベッたんか??
も、よくわからず...

やりながら、『芸人失格』だと、
思ってしまいました。

何の手応えも無く、
そのまま、訳もわからず、
汗が大量にブァーと出て来て、
小道具を片付けて、
重たい荷物を持って、
会場を後にしました。

不思議と涙は出なかったです。

ただただ、放心状態でした。

これまでのR-1は、
『ホームラン』か??
『三振』か??
を、目指してやってきて...

今回はバットを短く持って、
ヒット狙いに行って、
結局、『キャッチャーフライ』みたいな...

1番、最低なR-1だったと思います。

結果は、見事に1回戦敗退。

自分が審査員でも、
落としてると思います。

そりゃー、渋谷駅で階段踏み外して、
左足骨折しますよね!!

『天罰』が下ったと思いました。

足が折れてギブス生活、
部屋には、2回戦で使う予定の、
小道具やら衣装が散乱していました。

今まで、味わった事の無い感情。

悲しいとか、悔しいとか、
寂しいとか、腹立つとか...

そんなのとは、全然違う感情。

『無』でした。

『お笑い』については、
何も考えたく無い心境でした。

子供の頃から、ずっと好きだった、
『笑い』というモノ...

飽きっぽい自分が、
唯一、長く続けれたモノ...

専門学校時代から、
20年以上もずっと頭の中にあって、
1番大切で、かけがえの無いモノ...

それが、『もう考えたく無い』と、
思ってしまいました。

21歳でNSC入ったので、
20年という時間の流れが、
そう思わせたのかもしれません。

特に、悲しさや寂しさは、
ありませんでした。

それが、『自然の摂理』というのか??

太陽が昇って、やがて沈む。

雨が降って、やがて止む。

みたいに、ごく自然の出来事として、
受け入る事の出来る自分が居ました。

『情熱』という物が、『満潮』を、
迎えていて、それが、スッと波がひいて、
『干潮』を迎えたようでした。

最初からわかってた事なんです。

NSC入る前から、
人前でお笑いをするタイプでは無かった。

不器用だし、声小さいし、滑舌悪いし、
緊張すれし、演技力無いし、
キャラがある訳でも無いし...

家族にも、友達にも、
無理だと言われていました。

沢山、才能ある人を見ては、
失望する日々がありました。

心の中で、どこか、ずっと。

『芸人失格』だと思って、
『芸人』をしていました。

『お笑い』を再開した時も、
『芸』がある訳では無いので、
『芸人』と名乗るのがおこがましく、
後ろめたさを感じながら、
毎日、過ごしていました。

それでも、沢山の仲間や、
お客さんや、スタッフさんのおかげで、
これまで、続ける事が出来ました。

ただ『お笑いが好き』って、
だけで、20年という月日を過ごせました。

それってね、本当、
『奇跡』だと思います。

『才能』が無い事を、
20年続けるって、
逆にすごい事だと思うんです。

周りからセンスが無いと言われる、
ダサいTシャツを、
ダサいとも思わずに、
20年着続けてるみたいなもんだけど...

逆にそれは格好いい事だと思うんです。

悲観する事は、
何も無いんです。

『芸人』を始めた事は、
何も後悔していません。

全て、『財産』だと思っています。

人間には、誰にでも必ず、
『適材適所』というのが在るんです。

自分には、苦手な事もあるけど、
得意な事も沢山あるんです。

自分が苦手な事は、
誰かに助けて貰えばいい。

自分が得意な事で、
社会に貢献すればいいだけです。

無駄な物なんて何も無い。

『お笑い』だって、
『資格』としては、
何も残らないですけど...

『経験』は、必ず残ります。

人前で喋る能力とか、
人とのコミュニケーション能力とか、
構成力とか、時間の使い方とか...

どんな辛い出来事だって、
『笑い話』に変える能力もあります。

『芸人』で発揮出来なくても、
『社会』で発揮出来る事が沢山あります。

まず、沢山の『仲間』が出来ました。

そして、人の『弱さ』や『痛み』は、
誰よりもわかってあげられる、
そんな自信があります。

もし、誰からか夢の話を聞いた時、
「すごいね!!」「出来るよ!!」
背中を押してあげる事も出来ます。

どんな悲しい出来事や、
不幸も笑いに変える事が出来ます。

それは、今の自分だから、
『挫折』を沢山味わった自分だから、
習得出来た能力だと思います。

これから、自分は、
『作家』になりますが...

正直、『作家』って『芸人』より、
面白い世界だと思っています。

だって、『芸人』だと、
笑いの話だけですけど...

『作家』だと、笑いも泣きも、
何だって表現する事が出来る。

しかも、年齢や芸歴も無く...

体が動かなくなっても、
声が出せなくなっても、
病気しても、怪我をしても、
『作家』というのは、
何処でも何歳でも、
どんな状態になっても出来る。

恐らく死ぬ直前まで出来ると思います。

『作家』は『宇宙』だと思います。

無限の可能性があります。

『芸人』を経た事で、
誰にも書けない角度の、
物語が書けると思っています。

こんな『面白い』世界は無い。

41歳...

『芸人』では、『失格』だったかもしれん。

でも、違う世界では『合格』出来る世界が、
必ずあると思います。

これからの人生が1番楽しいと思っている。

夢は大抵叶わない。

だから、『人』に『夢』で、
『儚い』って漢字になるんだと思う。

でも、夢の中で、
過ごした経験は、
きっと自分の未来を、
豊かにしてくれる。

誰に何を言われても、
やりたい夢があるのなら、
絶対にチャレンジした方がいい。

やらない後悔より、
やってからの後悔の方が、
100倍マシだと思う。

不思議と、自分は、
芸人を辞めた時の『後悔』はあっても、
芸人を始めた時の『後悔』は、
1ミクロンも無い。

夢の中だから怪我しても、
痛くは無いのだよ。

家族が友達が、反対したとしても、
少なくとも、自分は応援するよ。

「すごいね!!」「出来るよ!!」

言ってあげたい。

今、もし、自分の命が、
尽きる事があったとして...

死ぬ間際の『走馬灯』の中には、
きっと『芸人』している自分が、
沢山、映っていると思います。

そうやって、ニヤニヤしながら、
最後の時を迎える事が出来るだけでも、
とても幸せな事だと思います。

『芸人失格』の物語は、
終わるけれど...

『夢』の形は、終着点は、
変わってまうのかも、しれないけれど、
『夢』を見る事は終わらないでしょう。

新しい物語がここから始まる。

僕らの未来は希望に溢れている。

2021年9月12日 ザ ミゾエ オンザビーチ 

-第4部 完-

つづく?

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