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そんなに三豊が好きになったのか、溝端直毅

少し前のこと。地域で活動する20代の若者たちと話していたとき、こんな話が出た。

『地域のために働く』って言葉は美しいけれど、それを第一にされると辛いよね

『地域への貢献』って、地域による『若者の搾取』になりがちだよね

彼らは、地域のことを好きだという。でも、それは、決して地域のために自己を犠牲にしたいとか、そういったことではないと。

そんなことを考えていて、ふと、今年の春くらいに見た映画『シン・ウルトラマン』に出てきた、こんなキャッチフレーズを思い出した。

そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン

この『シン・ウルトラマン』というのは、(ものすごい誤解を招く(笑)言い方をすると)、こんなストーリーである。

会社(光の星)のお仕事で、地球に怪獣退治にやって来た"サラリーマン”のウルトラマンが、ひょんなはずみで人間に興味を抱く。

そして、人間と関わるうちに、このなんだかよくわからない存在を"好き”になってしまう。

そして、最終的には上司(ゾーフィ)の命令に背き、"フリーランス”宣言をして人間を守る活動を続ける。

その際に上司が言うのが、「そんなに人間が好きになったのか〜」というセリフである。

※『シン・ウルトラマン』解釈は以下の記事を参考にしました(^U^)https://www.banger.jp/movie/78484/

正直、映画を見ていて、なぜウルトラマンがそんなに人間を好きになり、そこまで尽くしてくれるのか、よく分からなかった。

「うーん、もうちょっと、ウルトラマンの感情の機微をちゃんと描いてくれないかな」

そんな不満を抱いていたのだが、ここでハタと気づいたのである。

「そういえば、オレもいったい、自分の活動する地域の、何がどう好きになんやろ?」。

僕は今、香川県の三豊市という田舎町にベースを置き、活動している。

とは言っても、特にフリーランス宣言をしたわけではなく、東京の会社に所属し、その仕事をリモートで行いつつ、地域に関わる仕事もしているという状態だ。

それでも、この地域に残っているのは、それなりにやっぱり地域が"好き”なのだろう。

だが、この「好き」は、親が子に注ぐような、無私の愛情のようなものではない。もっと複雑で、多層的なものだと思うのだが、いざ考えてみると、実はよくわからない点も多い。

なので、宇宙人であるウルトラマンに文句を言う前に、まずは自分自身を省みてみるか、と思ったのである。

ボクは中途半端ニンゲン

とは言っても、自分の気持を見つめるというのが、また難しい話である。

「オレのコトは、オレが一番わかっている」というのは、だいたいの場合ウソである。自分が何をどう感じているのかなんて、整理して自分を見つめ返さないと、見えてこないものだ。

(だから、仏教では、瞑想を通して自分を見つめる修行をするのだ)

もっとも、三豊に来てからの3年強の日々は、東京の仕事と地域の仕事の両立でてんてこ舞いで、ほとんど自分を省みる時間がなかった。

そんなわけで、とりあえずこの正月、カフェでコーヒーを飲みながら、改めて自分のことを見つめ直してみたのである。

人間の行動の背景には、社会的な側面と、個人的な側面の両方が関わっている。

で、まず個人的な資質のことだが、僕は1980年代の12月某日生まれである。

この出生日を占星術系の占い師に診てもらうと、「アナタは、"他人を違うこと”をしたがる相がありますね」と言われることが多い。

たしかに、そう言われてみると、なんとなくメインストリームにうまく乗れないような傾向は昔からあった。中学や高校のときも、他の生徒が読まないような小難しい小説などを読みふけっては、ひとり悦に入っていたし。

その反面、けっこうビビリなので、あまり大胆なことをする性格でもない。物事はなにごとも慎重にやりたいほうだ。

なので、反主流的な気質はありつつ、メインストリームの近くをウロウロしてしまう。なんというか、そう、中途半端な人間なのである。

で、こういう中途半端な人間がスモールな一歩を踏み出す上では、三豊というのは、実はなかなか良い環境なのだ。

そのあたりは、また機会を改めて掘り下げてみたいと思う。

「喪失に怯える時代」の希望

そしてもうひとつ、社会的な要因である。

僕は、僕たちが「人類史上、もっとも恵まれた世代のひとつ」と同時に、トランプでいうところの「ババを引かされた世代」だとも思っている。

どういうことか。

まず、第二次世界大戦後の日本というのは、おそらく人類史上、もっとも平和で、物質的に恵まれた時代の中に合ったと思う。

学校のイジメや貧富の格差、民主主義の堕落など、さまざまな社会問題があることは否定しない。

それでも、例えば江戸時代の士農工商の社会のように、身分制が固定されていないから、自分の努力である程度まで自分の人生を変えていける余地もある。

また、古代中国の「焚書坑儒」のように、権力者の意見に逆らえば生き埋めにされる、というようなこともほとんどないだろう。

そういう意味で、恵まれた時代だと思う。

その一方で、僕は、「ババを引かされた世代」だとも思っている。

というのは、今は、「時代が良くなっていく」というよりも、「時代がどんどん悪くなっていく」という、喪失に怯える時代ではないかと思うからだ。

人口減少で日本はマーケットは小さくなる一方、アフリカなどでは人口が増えているから、地球上における一人の人間の資源の取り分は減っていく。

さらに、温暖化問題で、地球の限界も見えてきている。

そこに戦争も重なってきて、パックス・アメリカーナの平和も遠ざかろうとしている。

われらが日本人は、戦後の高度経済成長という、歴史的にも稀な経済的な繁栄を経験してきた。それが今、そんなこんなで、音を立てて崩れ去っていこうとしているのだ。

そして、僕らの社会も、「いかにこれまでの豊かさをこれ以上失わないようにするか」ということに汲々としがちなのではないか。

人間というのは、もとの状態が悪くて、それが改善されていくようなとき、未来に希望を抱いてエネルギーを発揮できるものだ。

でも、「失わないようにする」というときには、往々にして、自分の生命力が縮んでいくものである。

こうした点で考えるとき、三豊というのは、実は、とても面白い場なのである。

三豊市というのは、もともと、県庁所在地の高松から車で1時間ほど離れた、目立たない町だった。

それが、インスタ映えの絶景・父母ケ浜が人気になったのをはじめ、この5年くらいの間に急速な変化が起きている。

その変化の大きな部分は、市内外の事業者が担っている。彼らが市内で連携して、新しい事業を次々と起こしていっているのだ。

こんな町には、「やりたいことがあったら、どんどん実現しようぜ」というムードがある。

実際、僕もこの年末、何件か忘年会に参加したのだが、そこでもすぐに、「こんなものが地域にあったら、もっと面白くなると思うから、こういうものを今度創りたいと思っている」といった話がポンポンと飛び出してくる。

もちろん、すぐに実現するものばかりではないし、失敗するものも多くあるだろう。それでも、「とにかくチャレンジしてみようぜ」という気風があるのである。

「やりたいことをチャレンジしやすい町」には、もちろん負の側面もある。

たとえば、静かな暮らしをしたい人が、肩身の狭い思いをしたり、疲れてしまったり、ということ。

あと、三豊でさまざまな活動が盛り上がっているといったって、日本全国の人口減少の中では、焼け石に水、といったこともある。

僕たちがどんな活動をしようと、今の人口減少の波を押し返すことはできないだろうし、日本が再び経済大国に返り咲いて、アメリカや中国を圧倒する、といった話にはならないだろう。

ただ、そういったものとは違う形の希望を、この時代に示せる町かもしれない、という気がしているのである。

もちろん、今の生活に満足している人には、”希望”なんて要らないものかもしれない。希望がうんぬん、という人を冷笑する人も、今の日本には多いだろう。

でも、やっぱり、僕は僕が生きていくうえで、今は何かしら希望がほしいと思っている。

その辺りも含め、今後、また掘り下げていきたいと思う。


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