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一貫性について

こんにちは みぞです。

皆さんは何か同じものを好んだり、自分が一方の立場に立ったときにたとえ正しい立場でなくても自分のたちばを貫くようなことをした事はないですか。

僕はあります。自分の例を後で紹介します。

皆さんも一貫性の性質を感じていると思います。

一貫性とは一度決定を下したり、立場をとると自分の内からも外からも一貫して行動するように圧力をかけられることです。

僕は今まで苦労したから今の自分があると思っていました。苦労したからこそ成長したともしかしたら思い込んでいたのかもしれないと感じました。

サッカーでプロになるという目標を立て、書き、公表し自分の人生に対して責任を取っていた事は一貫性の心理を持っていたことになります。

他人の客観的なアドバイスは耳に入れることもなく、一貫性のスイッチが入り、その通りに流している感じでした。

サッカーをやめて自分を客観的に見つめ直したときに実力がない自分がプライドに拘って続けていたかを考えたときに一貫性の心理から抜け出すことができませんでした。

そして13年間続けてきたサッカーをやめて自分と向き合ったときに自分の人生で苦しい経験をして良かったと自分を正当化するような向き合い方をしていました。

本当なら自分の人生を楽しむためになるべくは大変な辛い思いをしたくないと思うのは普通の心理なんだと思います。

しかし自分が苦しい思いをしたためにそれが自分の人生を形成して正しいことなのではないかと思っていました。

なぜかと考えたときに行動をすること、公表されること、努力を要すること、自分の意志で選ぶことの4つが自分の一貫した行動とコミットが自己イメージに影響を及ぼしてきました。

自分の目標のためにどんな困難な時でもほぼ毎日サッカーをし、日々の成果を書き夢について文字にして書いてきました。(行動すること)

そしてその夢や目標や練習を頑張っていることを人に話していました。(公表)

小学校の頃は父に怒られ続け僕が泣いている記憶が多いです。中学校は毎土日は4時半に毎日起き遠出の遠征をし、自分に実力がないという違和感を無視し続け、心の中のもやもやを毎日感じていました。高校では自分の実力を隠し続けていたメッキが剥がれチームメイトから笑われ、馬鹿にされコーチからも仲間からも文句を言われ続けていました。

訳のわからない病気にかかり顔は青ざめ、冷や汗と手から汗が止まる事はありませんでした。健康を害すところまでメンタルは追い込まれていました。(努力を要すること)

中学も高校も自分の実力と見合ったところに行っていないため父からは過去の後悔とお金のことで怒られていました。しかし自分で選ぶ選択肢は自分の中で持っていたため、辞めずに続けました。(自分の意志で選ぶ事)

このように一貫した行動をしていて自分を正当化する心理に陥っていました。ものすごく強力な心理である事は身を持って経験しました。

はっきり言ってもっと早めに客観的に自分を見つめ直すことの方が合理的であったのにこの経験は自分の人生においてなくてはならないものだと自負をするようになってしまいました。

要するに一貫する行動には強い心理がはたらき、たとえこれが客観的に見て正しいことではなかったとしてもここから逃れる事はとてつもなく難しい事だとわかります。

結論として人間の強固な心理として一貫性というものがあります。これは誰でも陥る罠も隠されています。

だからこそ一貫性があるということを知り、常に客観的に物事を見る癖をつけていきましょう。

読んでいただきありがとうございました。皆さんが自分の人生を生きるきっかけになるように頑張ります。

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