「好きなことで繋がろう」はマクドナルドだ。

僕は「好き」というのはとても高貴で崇高なものだと思っている。
世界に自分たった一人だとしても「これが好きだ」からやるというような行為のことだと。

そんな「好き」を人と繋がるために使ってしまうと、崇高だった「好き」が社会の中で自分の居場所を見つけるという目的のための手段に成り下がってしまう。
一度成り下がると、そこに他者がいなくなったときに、もはやその行為を続けられないのではないか。

そういう経験が僕にはたくさんある。
たとえば、高校時代にパズドラというスマホゲームが流行っていて、私はたまたまパズドラを初期の周りでは誰もやっていない頃からやっていて、とてもハマっていた。帰りの電車の中で一人でゲームするのが楽しかった。別にクリアできなくてもパズルをどう解くのか、が楽しかったのだ。
だけどパズドラが人気になってきた頃、「パズドラLINEグループ」ができた。初期からやっていた僕はみんなに比べてランクが高く、優越感を感じた。とてもいい気分になってしまった。
それからパズドラにかける時間は増えていった。帰りの電車だけでなく、休み時間も授業中も家でもずっとやるようになった。月曜日に新たなダンジョンが追加されれば、すぐに挑戦しクリアした。優越感を感じ続けるために。
気づけば、新たなダンジョンをクリアするのはLINEグループで報告するためのものになってしまった。クリアできないと、やっている意味がなくなった。終いには、当時ネットで紹介されていた時間を戻すチートを使ったり、パズルの動かし方を解いてくれるアプリを使ったりしていた。もはやそこにパズルを解く楽しみなんてなかった。
そして、受験期だと言ってみんながパズドラを辞めていった頃、僕のパズドラへの興味も、ライングループの人数に比例して減衰していった。

僕は小説を読むのが好きだ。小学校の頃から父親に勧められた小説を貪り読んでいた。それがずっと続いていて、週に1冊も読まなかった時期は今までないかもしれない。小説の何が好きかというと、別の世界に没頭できるところで、それは自分一人で完結する楽しみだった。僕は読んだ本を忘れたくなくて、読んだ小説とその感想をある時期からメモアプリに書き留めるようになった。
それが1年ぐらい続いた後、本のあらすじを一緒に見られたほうが便利だなぁと思い、調べてみると読書メーター(本の感想を書くSNS)にたどり着いた。
本を検索するとあらすじと装丁が表示され、紐付けて感想を書ける。その利便性に意気揚々と読書メーターに感想を書いてみると、複数の人からいいね!をされた。心がふわふわと浮ついた。
暫くして、気づけば、いいね!をされそうな本(つまり人気の本)を選んで読み、いいね!をされそうな感想を書くことを念頭におきながら小説を読むようになってしまっていた。小説の後半を読んでいる時は、もはや感想の構成しか頭にない。小説を読むことは、感想を書いていいね!されるための手段に成り下がったのだ。私の「好き」は承認欲求に敗北し、また一つ失われたのだ。

こうして僕はパズドラでも小説でも「好き」が失われていったのだ。自分の他者と繋がりたい、優越感を感じたい、認められたいという欲望に負けてしまったせいで。
これは僕の場合だけかもしれないが、「好き」vs「繋がりたい欲」を戦わせると、常に前者が負けてしまう。一度負けて手段に成り下がった「好き」は以前の「好き」には戻ってくれない。もう一人では完結しない。誰かが共感してくれなければ、誰かに認めてもらわなければ、誰かに勝てなければ、意味がないものになってしまう。もっと言えば、それらの目的を達成できるのであれば、それはもうパズドラじゃなくても読書じゃなくてもよくなってしまうのだ。好きだったものに対するこだわりは消失してしまう。

だから、「好きなことで繋がろう」を推奨する今の世の中にとても違和感を持ってしまうのだ。好きなことで繋がってしまうと、「好きなこと」が「繋がること」の手段に成り下がってしまわないか。
(もし世の中の多くの人が、そうではないというのであれば、僕の「繋がりたい欲」が異常に強い、もしくは「好き」が異常に弱いということだろうか。)
もちろん「誰かと繋がりたい」という欲望は当然持っているものだし、人間は誰かと繋がらないと生きていけない生き物だから、その欲望は否定されるものではない。それでもいつでも誰かと繋がってしまう世の中で、たった一つでも繋がらずに成立するもの(=「好き」)を持っていた方が、精神のバランスよく生きられると思うのだ。
だから、「好きなことで繋がろう」は全ての人間が持つ欲望で、否定してはいけないものだけど、悪い側面もある。「(あまり良くないと分かっているけど)好きなもので繋がっちゃうよね〜」という立ち位置が適切なのではないか。
マクドナルドは体に悪い。だけど、ジャンクでとても美味しい。美味しいものをたらふく食べたいという欲望は否定すべきものではない。とはいえ、「マクドナルドを食べましょう!」と推奨するものでもない。「(体に悪いとは分かっているけど)マクドナルド食べちゃうよね〜」というものだ。
「好きなもので繋がる」はマクドナルド的な立ち位置がいいと思うのだ。

と色々書いていて思ったが、これをnoteに投稿することは、すでに誰かに読んで欲しくて書いているので「投稿しちゃうよね〜」という感じだ。

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