映画『ある精肉店のはなし』をみた

映画『ある精肉店のはなし』公式サイト

朝。
下町のあまり広くない舗装道路。
男に引かれて、黒い牛が歩いてゆく。
鼻先を誘導されるがままにゆっくりと歩く黒牛。
矯められていない二本のツノがぐいと前に突き出している。
ほんの少し抵抗するものの、男に引かれて細い路地を右へ左へ折れて歩く。

引かれてゆく牛を追う撮影カメラは2台あるだろうか。ひょっとしたらひとつはスマホのような簡易的なものかもしれない。正面からの姿・カメラが切り替わって横からの姿・そして後ろからの姿。離れた位置からじっと静止した固定カメラでズームして撮影しているのは、牛を刺激しないようにするための気配りだろう。
周囲に映りこむ低層の建物の連なりから、あまり長い距離を移動しているわけではないことが分かる。おそらく正面から映していた一方のカメラが急いで路地をぐるっと回りこんで、リレーして、別の角度からまた撮っているのだろう。

牛はひときわ細い通路を進み、コンクリートのスロープを上り、頑丈な壁で覆われた窓のない建物の中へ引かれてゆく。いや、窓はある。建物の中には明るい光が差しこんでいる。吹き抜けのようになった広い屋内の高い天井近くにも大きな窓がたくさんあるのが見える。
中には大勢の人がいる。少し離れた位置から囲んで、これから起こることを見守っているような雰囲気がうかがえる。見習いの従業員たちだろうか。なにかの視察だろうか。
牛を引いてきた男と建物の中で待っていた男のふたりが、ほとんど言葉を交わすことなく、コンクリートの床の部屋の中央に牛を誘導する。ヘルメットをかぶったひとりが手綱を握って、自らの姿勢をわずかに屈める。もうひとりは牛に見えないように槌のような道具を構えている。ふたりが息を合わせ、黒牛の眉間に槌を打ちつける。一瞬にして、牛は四肢からがくんと力が抜けてへたりこむ。手綱を押さえていた男がずいと引きこまれる。重い。

男は手綱を離さず、側で控えていた女に何か道具をよこせと大きな声を出す。一刻を争うのだ。この仕事の流れの中で、ただ一度だけの怒号。ちょっとだけ手際が悪かったらしい。
しかしその後はまたお互いにほとんど指示も応えもなくなる。解法の分かっているパズルを解くように、パタンパタンと仕掛けがとじられ、からくり箱が畳まれてゆくように、てきぱきと作業が進んでゆく。小気味好い。
皮を剥ぐ作業・骨を切る作業・水で洗う作業。どこかで体内の血を抜いているはずだが、大量の血が流れるような映像はない。映像がショッキングになりすぎないよう、カメラワークか編集の段階で配慮してあるのだろうか。

内臓が順に取り出され、四肢が分けられたあと、作業場の建物に備えつけられたクレーンで胴体が持ち上げられる。高々と吊るされる肉のかたまり。巨大で相当な重さのはずなのだけれど、皮を剥がれ白とピンクの美しい色におおわれた肉は、ふわふわと軽く、とっても柔らかそうに見える。
一連の仕事を中心となって進めてきたリーダーの男が、脚立の上から巨大なチェーンソーを使い、背骨を縦に割ってゆく。カメラは赤い肉の中をのぞきこむアングル。奥から骨が縦に切り裂かれ、上から肉を分けて男が現れる。天窓から光がさす。解体のクライマックス。

張りつめていた空気がいくらかゆるんだ気配を感じる。生きていた牛を肉に分けてゆく仕事はスピードが要求されるのだということがわかる。山場は越えたのだ。リラックスして言葉を交わす様子もうかがえる。周囲を囲んでいたギャラリー(公開の見学会に参加していた人たち。撮影していた監督もその中のひとり)も、いくらかほっと息をついているようだ。

大きな肉のかたまりは車に積まれ、冒頭で牛が歩いてきた道を戻り、家に帰る。北出精肉店。クレーンで吊られた肉を倉庫に運びこもうとしたときに、ちょうど下校中の小学生の一団が通りかかる。背骨の切断面もあらわな巨大な肉を仰ぎ見ながら、口々に質問したり、感想を述べたり、大げさに驚いてみせる子供たち。傍らで撮影しているカメラを意識してくれているのだろう。わざとおぼこい無垢な子供像を演じてくれているようだ。関西の子供らはそつがなくてサービス精神旺盛だ。とても可笑しい。

これがボクが見たドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』の冒頭だ。

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『ある精肉店のはなし』というタイトルバックの文字は柔らかくて抜けのある書体で、このドキュメンタリーが特別すぎる存在ではなくて普通のことであるということをさりげなく主張している。「はなし」が平仮名なのもいい。
時おり入る女声のナレーションは、少し説明を足し過ぎなようにも感じられるけど、多すぎて煩いというまでではない。おそらく監督自身によるナレーションだろう。
纐纈あや監督。はなぶさという難読姓。ナレの喋りはけっして上手ではない素人のそれだ。しかしこのたどたどしいナレーションの声もまた、このドキュメンタリーを受け取るのに変に身構えなくてもよいというメッセージになっている。どの要素も計算されている。巧い。

某日某所、ボクは偶然この映画の無料上映会が開催されることを知り、もともとの予定をキャンセルして会場へ向かった。とても暑い日で、大汗をかきながら開場1時間前に着き、冷房の効いた室内で身体を冷やしながら時間をつぶし、上映開始の少し前に劇場に入った。定員は120人、満員だった。
上映前にはなぶさあや監督の短い挨拶があった。喋り声が松たか子に似ているなと思った。そう思いながら見ていると、監督のふるまいも『HERO』の松たか子にそっくりに見えてきた。

映画の舞台は貝塚市。だんじりで有名な岸和田市の隣で、電車で関西空港に行くときに通過したことはあるが、どんなところかは知らない。市の名になっているにもかかわらず、市内に貝塚は無いらしい。

牛を飼育して精肉までして販売しているお店が北出精肉店。生産から販売まで一貫して行っているこの規模のお肉屋さんは、今ではとても珍しいそうだ。その日売れるぶんを予測して冷蔵庫からかたまりの肉を取り出し、薄くスライスしてパックする。お客さんの要求に応じて量り売りする。移動販売車で山間部にまで出張り、里におりるのが億劫なお年寄りの常連さんのところへ売りにゆく。
ボクが子供のころ住んでいた田舎の町にもお肉屋さんはいくつもあった。店頭の様子はそっくりだったけど、そのお店の裏に牛舎があったようなところはない。牛を飼っている農家はあった。肉屋さんや畜産農家の人たちが、近所で牛をほふっていたという話は聞いたことがない。

肉にする場合に屠殺という言葉があるが、北出さんたちは「屠畜」と言う。とちく。音声で聴いてぱっと漢字が思いつかない。ボクは「ほふる」という動詞に耳馴染みがあったのだけど、これは聖書の物語で読んでいたからだった。こちらも漢字では書けなかったけど、あらためて変換してみたら同じ漢字だった。屠る。
「屠畜」という言葉をわざわざ選んで使う(他にも「割る」という言い方もされている)、その気づかいが、北出さんたちの並々ならぬプロ意識を端的に示している。教養。丁寧な言葉を選んで使うことができるということは、食肉を生産する仕事の本質に関しても、丁寧でかつ妥協や油断がない・間違いのないことに直結していると感じた。

漫画『カムイ伝』には、夙谷の部落で牛馬の皮をなめすシーンがある。冷たい川の水に晒し、手のあかぎれの痛みに耐えながらのつらい仕事だ。うっかり手を離してしまい流されていった皮が倒木の枝にひっかかり、たわんだ皮の形がヒントになって、川砂のたまらない新しい堰のアイデアを閃く。治水と農業に革命が起こるきっかけとなる痛快なシーンだ。
川と皮の胸のすくエピソードが描かれているものの、同漫画の大きなテーマは身分差別であり、取り上げられている題材は部落(非人)だ。牛馬の“処理”はつらい仕事であり、蔑みの対象として見下げられていたという過去がある。当時は食用として牛肉を生産するという習慣はなかったらしいが、生きている牛を食べるところまで“加工”するという仕事に対しての不当な蔑視や穢れへの偏見は、まだ残ってしまっている。

北出精肉店を営む長兄・北出新司さんは幼い頃から父親の仕事を手伝いつつも、家業である精肉業や住環境に根付く部落差別の理不尽さに反発し、いつかはこの地を出て行こうと考えていたという。ところが10代のうちに「水平社宣言」の存在を知り、部落解放運動に参加するようになる。現在に至るまで講演会や啓蒙活動を積極的に行っている。
北出精肉店のある場所は古い字名を「嶋村」といい、古くから住む人たちはこの場所を「ムラ」と呼ぶ。今は異なる住所に変わっているが、映画の撮影と公開に伴ってこの地が被差別部落であった過去を掘り返されることに懸念や心配もあったという。つまり「寝た子を起こすな」という例の考え方である。
そんな状況ではあったものの、監督の熱意もあり、そして何よりも北出さんたちの意思がしっかりと反映された形で地域ぐるみの理解が得られ、長期間のドキュメンタリー撮影が実現する。しかし撮影が始まったその時にはもう、貝塚市営の屠場は閉鎖が決まっていた。

映画は時間をいったりきたりしながら進む。冒頭と終幕でそれぞれ一頭ずつ牛を割るシーンがあり、映画の最後の屠畜は閉鎖前の屠場の最後の使用でもある。その後の北出精肉店についての情景は、映画の中間で先んじて、それぞれ丁寧に記録されている。
理知的な北出新司さんのインタビュー。その妻静子さんと北出家の長女・浅野澄子さんの底抜けに明るい笑顔(盆踊りに参加するために仮装する女性ふたりがはしゃぐ様子のキュートなこと!)。その一方で幼い頃から厳しかった父親の手伝いをさせられ怒鳴られてきた思い出を語る澄子さんや、四国から嫁いできた静子さんが北出の生業に戸惑いを感じていたと漏らすシーン。そして、次の世代でもある若い息子が結婚する直前に、お嫁さんとなる女性にさらっと「部落に嫁ぐことについて」質問する場面も。

そんな日常の描写の中でもっとも印象に残ったのは、新司さんの弟であり、精肉店に隣接する牛舎で牛を飼育していた次男の北出昭さんが、太鼓を作るくだりである。
巨大な和太鼓だ。表面には皮が張ってある。牛の皮。肉を摂った後に残る皮。屠場の閉鎖により、北出精肉店は牛の飼育を廃業する。主のいなくなった牛舎のスペースを使い、昭さんがかねてより強い関心を抱いていたという太鼓製造業に本腰を入れるようになってゆくのだ。
この展開には映画を見ながら思わず喝采哄笑した。なるほど、肉と皮だ。牛が残したもの・牛を余すところなく活用するために、肉の次に皮に目を向けるというのは、自然な流れだ。この連関が素晴らしい。

昭さんは太鼓職人の師匠につきしたがい、巨大な皮を丁寧になめす。大汗をかきながら全身を使って、時間をかけて。ものすごく力のいる仕事だ。地面に広げた巨大な皮にひざまづいて、厚みにムラがないか、傷がないかを慎重に見極めてゆく。
太鼓を作る(皮を張り替える)という職人の技であるが、その現場はなんとも地道で、肉体作業で、足元がしっかり固まっていないとけっしてできない仕事だ。食肉を作るために牛を飼育するのと太鼓を作る仕事が、ずっとまっすぐ一直線で繋がっているのだということが強く感じられる。

屋号「太鼓屋 嶋村」を開業し、初めて請け負った仕事が、地域のお祭りに欠かせないだんじりに据える大太鼓の張り替えである。隣の岸和田市と同様に、貝塚市でもお祭りにだんじりは欠かせないらしい。
昭さんの丁寧な仕事は、見ている側もいくぶん緊張を誘われる。専用の刃物を使って皮を大きく丸く切り分けるシーンなどは、牛肉を切り分けるシーン以上に冷や冷やする。太鼓の胴の中には歴代の張り替え職人たちが署名をしており、そのなかに「嶋村」の名前も連なる。首尾よく太鼓が完成すると、見ているこちらもどっと弛緩し、ほっと息をつく。そして疾走するだんじり。エネルギーのかたまり。

夏の祭りに太鼓は欠かせないものだろうと当然のことのようにうなずきながら見ていると、実は「ムラ」でのローカルなお祭りには太鼓が登場しないのだということも語られる。驚いた。かつてはこの地での太鼓使用が禁じられていたという過去があり、そのことをふまえ、今でも夏の3日間にわたる盆踊りの櫓には、笛や鐘の演奏と民謡の唄はあるものの、太鼓は使われていないのだ。

太鼓のないお祭りで、ピエロや赤毛のアンの仮装をした澄子さんや静子さんが踊る。太鼓の登場する勇壮なだんじりのお祭りと、太鼓は使わないけれど地元の人たちが静かに、でもとても幸せそうに踊るお祭りと、どちらもすごく愛おしい。

そして太鼓はもうひとつ、ちょっと意外な形で地域に還ってゆく。それは昭さんが地元の小学校に出向き、子供たちに太鼓造りを体験させるという教室を開くシーンだ。
小型とはいえ、本物の皮を使った本格的な太鼓だ。小さな子供達だけで簡単に作れるようなシロモノではない。必然的に、この教室は保護者の参加をうながす。特に力が要る作業であるから、それぞれの父親が出張ってくることになる。
これは本当に素晴らしい試みだ。ボクの住む地域で太鼓制作教室があったとしたら、何をおいてもまっさきに参加しただろう。子供と一緒になにかをやるぞという企画があった場合に、太鼓というのは、男の親がとてもやりたくなるツボを突いた題材であるといえる。絶妙のチョイスだ。

太鼓を通じて、大げさなことを真正面から押し付けるように語るでもなく、昭さんは牛のことと地域のことを次の世代にじんわりと伝えてゆく。
ダイレクトに叩きつけるのではなく、いつか気付くかもしれない形で、柔らかな、しかし強烈なインパクトを持った刺激として、牛を植えていく。

澄子さん、新司さん、昭さんの姉兄弟が特に饒舌に語るのは、故人である彼らの父親についてである。酒を飲み、喧嘩っ早くて、文盲ではあったが、厳しく、仕事と生き方の両方について自らの姿を子供達に見せ続けていた父。子の3人は愛憎の入り混じった複雑な表情を浮かべ、早口で、たくさんのことを喋る。
父親が子らに伝えたこと・前の世代から次の世代に伝わってゆくこと。何をもって、どのように伝えてゆくかは、その人それぞれ様々なやりかたがある。ある人は言葉で。またある人は態度で。そして、太鼓で。

業務を縮小した北出精肉店は転換期を迎える。屠畜のことを「ふつうの仕事」と語り、特別なことではないと言い続けていた北出さんたちは、もう牛を育てることも割ることもしなくなり、文字どおり、小売のみの「ふつうのお肉屋さん」になる。
そして、飼育を担ってきた次兄の昭さんにとっては、新たな人生の始まりである。
弁の立つ長兄・新司さんは映画の一番最後に、弟・昭さんのことをぽつりと語る。「昭は太鼓を見つけた。ボクもまた、これから次のことを考えますよ」と。

市営の屠場は閉じられ、精肉店は飼育と屠畜を廃業した。牛舎は取り壊され、お店も建て替えられた。
Googleストリートビューの履歴を過去に遡ると、映画に映っていた北出精肉店の建物が見える。それが解体されている時に廃材を積みこんでいたトラックも映っている。そして最新のストリートビューでは、新しいお店が映っている。お店の入り口のガラス戸には、この映画『ある精肉店のはなし』のポスターが貼ってある。ちょっと日に晒されて、色褪せているかな?

そしてGoogleストリートビューをたどると、あの日屠場へ引かれていった牛が歩いていた道を見ることもできる。細い路地もある。在りし日の屠場の様子もちらっと映っていて、でもその後は取り壊されて更地になっているのがわかる。
その土地はしばらく空いていたようだが、今は隣接する少し高い公園から下りるためのゆるやかなスロープがしつらえられて、拡張された公園の一部になっている。
遊具などはなにも置かれていない平らな広場の公園だが、どうやら片隅に据えられているのは慰霊と感謝の念をこめた「獣魂碑」らしい。とても立派で綺麗な碑に見える。

きっとこの公園で遊ぶ子供たちや近くの保育園へ通う子供たちは、この場所に何があったかは知らずに育つのだろう。それで構わないのだろう。焦らなくてもいい。

どこからか、なんとなく、ふんわりと伝わる。伝えられる。

柔らかく。


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