感情の善悪
前回は「後悔の消し方」を書きました。
消し方、と書いといてなんだけど、後悔をしていたとしても、それで自分が苦しい思いをしていたり、今の生活に支障が出ていないなら、いくらでも後悔しててもいい。
どんな感情も、感情を持つこと自体は悪いことじゃない、というか、沸いてくる感情を止めるなんてできはしないからだ。
後悔でも、未練でも、嫉妬でも、憎悪でも
その感情を持つことだけでは、悪いことじゃない。
感情そのものに「善悪」なんてない。
だけど、その自分自身の感情によって、今の自分自身が苦しんでいたり、他人を苦しめているのだとしたら、その感情は、昇華したり、解消したり、転換していくことが必要な感情だと言える。
けれど、その感情を否定するってことじゃない。
その逆で、感情を否定しようとすればするほど、私たちはその感情に固執する。
「ピンクの象を思い出さないでください」
そう言われるほど、ピンクの象を思い描いてしまうように。
けれど幸いなことに、感情はほっといても沸いてしまうけれど、その分消すことも容易だってこと。
たとえば、幼稚園の頃好きだった人への感情なんて、今思い出すこともないだろうし、もしかしたら去年付き合っていた恋人を思い出しても、なんで好きだったんだろうと首をかしげるほど、その時の感情なんて消え去っているかもしれない。
自分にとって、その感情が現在の自分を安定に導くならその感情はそのまま放っておいていいもの。
自分にとって、その感情が現在の自分を不安定にしたり、闇に落としたり、または周囲にも危害を与えるような感情であるなら、それはなにかしらの策をうった方が今のところいいこと。
私たちは、その方策を自分の経験値で学んでいくけれど、数学が得意な人もいれば、国語が得意な人もいるように、どの感情に強いかは実は異なっている。
だから自分が処理が苦手とする感情があるのなら、それは上手い人を真似したり、方法を知ることも大切。
心理学を学ぶメリットがあるとしたら、そんな自分が不得手な感情に対しての方法を知ることでもある。
水野順子