見出し画像

「人という字は」論争


 まずは元ネタ


 武田鉄矢主演のドラマ『三年B組金八先生』のいわずとしれた名言を、以下に提示する。

「人という字は、互いに支え合って人となる」

 人は一人では生きていけない、皆と協力し励まし合いながらともに成長するものだ。だから、仲間を大切にするんだぞ――と、いうような趣旨を持った標語として後世に伝わった。

 が、私の世代からは遠い過去のドラマで、果たしてどんな話の流れ(卒業する生徒に向けた良い話?)で金八先生が語ったのかは存じ上げない。もちろん、視聴者の心に響かせ、感動を与えたからこそ、この時代まで名言として語り継がれているセリフなのだろうが。

 調べたところ、このセリフが登場したのが金八先生SPⅣの1985年だそうだ。私の生まれるはるか前、昭和の香りが終焉を迎える時期。ちょうど「いじめ」という単語が世間に流通し始めた。そんな印象を持った。

  時代が流れ、2000年代。この金言に疑問を呈する創作物が生まれた。次からは、時代順に作品ごとの「人という字」の解釈を説明していく。尚、下に提示する以外の作品にも扱われていた場合は、ご容赦を。


1. 漫画『宇宙兄弟』#74 ――小山宙也


 2009年に初出。宇宙兄弟の第74話。JAXAの入社式で、理事長の茄子田が五人の宇宙飛行士候補者に語った言葉。

「人という字は支えあっているのではない。支える者がいて、その上に立つ者がいる。我々JAXA職員の殆どは支える側。あなた方宇宙飛行士はその上に立つ者です。我々はあなた方が宇宙へと旅立つのを支える発射台にすぎませんが、あなた方を宇宙へ送り出すためならば、全力で支えていく覚悟です。」

 「人」という字を「二人の人間」から構成されている文字というのは、金八先生からの継承である。しかし、支え「合う」ではなく「支えている」人と「支えられている」人に分けていることが大きく異なる。次に紹介する『俺ガイル』の理論と根幹は似ているが、『宇宙兄弟』が肯定的に捉えているのに対し、『俺ガイル』は支えていることを否定的に捉えている。まったく真逆の見方をしているのだ。

 「支え合い」を横に並んだニュアンスではなく、縁の下の力持ちとしての意味合いを含んだこの名言は、協調を重んじる組織としての印象を与えた。


2. ライトノベル『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』 第六巻 ――渡 航


 通称『俺ガイル』。2012年の単行本第六巻が初出。文化祭実行委員の会議で、捻くれぼっち高校生・比企谷八幡が語った言葉。

「いや、人という字は人と人とが支えあって、とか言ってますけど、片方寄りかかってんじゃないっすか。誰か犠牲になることを容認しているのが『人』って概念だと思うんですよね。だから、この文化祭に、文実に、ふさわしいんじゃないかと」

 後のアニメ化の影響もあり、若年層に多く知れ渡っているこのセリフ。先ほどの『宇宙兄弟』をベースに、一画目の人間を「寄りかかっている」と穿った見方で捉えているのが面白いところ。『金八先生』の元ネタを否定しつつも、主人公の堕落した性格から生まれる考え方と相まって、「呆れたわ」とため息を吐かれそうなセリフになっている。

 非常に現代的な発想であるが、初出が意外と早い時期であったことに驚いた。作者の尖った発想は、時代を少し先行している。にしても、不思議と頭に残ってしまう魔力を持っているセリフだ。ただの元ネタの反論ではなく、そこから一歩進んだ考えにたどり着いているから、だろうか。


3. ドラマ『リーガル・ハイ』スペシャル1 ――古沢良太


 フジテレビ系ドラマのスペシャル版。放送年は2013年。いじめ訴訟調査のために訪れた悪徳弁護士・古美門健介が教室の生徒たちに語った言葉。

「えぇ~人という字は、えぇ~人と人とがお互いに支え合って出来ているわけではありません! 一人の人間が、両足を踏ん張って大地に立っている姿の象形文字です。人は一人で生まれ、一人で生きてゆき、一人で死んでいきます。中学時代の友人や人間関係は、この先の人生でほとんど役には立ちましぇん! それどころか、くだらない友情と地元愛で縛り付け、自由な人生を阻害する腐った鎖でしかありません!」

 なんとも強烈な厭味ったらしい内容だが、最も「人」という字の由来に近付いているこのセリフ。真なる漢字の成り立ちでないところがミソであろうか(古沢氏はわざとやったのか?)。実際の成り立ちを手持ちの辞書で調べたところ、「人が立っている姿を横から見た形」とある(例解新漢和辞典第三版)。

 このセリフは元ネタに反駁する代表例としても、超有名である。ドラマの「今までの常識を疑う」というテーマに則した、従来語られてきた『金八先生』の名言をぶっ壊した名言として、視聴者の心にもはっとされたものがあったのではないか。

 まとめ


 どのセリフを選んで自分の心に留めておくのかは、個人の自由である。そして、三つの派生した「人という字は」論は、『金八先生』の元ネタこそが世間で愛され、そして人々の心に残っていたからこそ生まれたものである。本当の漢字の成り立ちと違っていたからって、卑下する必要はない。与えた者勝ちである。

 にしても、一つの文字でもこれだけの見方が存在するのだから、人間って面白いなって。私としても諸作品それぞれを愛好する者として(金八先生は除くが)、「人という字は」論争がこれからも語られていくことを何よりも願っている。

 以上

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?