ちりちりぼん

 5月に越してきた家の冷房を1ヶ月経って初めて使ってみたら、なんだか変な臭いがした。一度消してまたつけると臭いはしなくなった。だから気のせいかと安心していたけど、何日か後につけてみるとやっぱり臭い。フィルターに黴でも生えているのだろう。そう思って、つま先立ちをして上のところを開けてみると、そこには“ちりちりぼん”がいた。あっ、ちりちりぼんだ!そう声に出した途端、なんだか凄く笑えてきた。だって可笑しかったから。ちりちりぼんは、僕が小学生のときに課題で書いた詩に出てきた小さな生き物だった。架空の生物と出会ったことよりも、その生き物を覚えていて、すぐに名前まで出てきたことのほうが、僕には不思議だった。ちりちりぼんは、気づくと視界からいなくなっていた。あのときぶりだねと、声をかけようと思ったのに。これは君の臭いなの?そう聞いてやりたかったのに。僕が詩に書いたちりちりぼんは、どんな奴だっただろう。何のためにその世界に実在して、何を僕に教えてくれて、そして、どんな臭いだっただろう。生んだのは僕なのに何も思い出せなかった。中学生の頃、僕が家であまり喋らなくなって戸惑っていた母の姿を、なんとなく思い出した。初任給で家族に奢ったしゃぶしゃぶの食べ放題で、元を取ろうとジーパンのボタンを外していた母の姿も、何故だか思い出した。

 “ちりちりぼん“。そう呟いて、スケッチブックを取り出す。最近ではタブレットでも絵を描くようになったが、それでもスケッチブックは、絵の具と共に家に常備していた。”ちりちりぼん“、”ちりちりぼん“。呟いても呟いても、ちりちりぼんは実体をもってくれない。ついさっき見たはずなのに。それがどんな姿かたちをしていたのか、毛頭思い浮かばない。初めから実体なんてなかった、そう言われたら、そうかもしれないと納得してしまいそうだ。だけど、確かに僕は見たのだ。この目で。いや、鼻で?とにかく、そこにちりちりぼんはいた。僕は、ちりちりぼんに会ったのだ。

 鼻で見た。もしかしたらそうなのかもしれない。でもそれなら、どうなるのだろう。鼻で見ることがもし僕にできたのなら、臭いを描くこともできるのではないか。そう思うけど、やはり臭いを描くということはピンと来ない。紙にペンで絵を描いたとしたら、そこには紙とインクの臭いが残る。それにそもそも、描くことができないのだ。紙にちりちりぼんの臭いを染み込ませたとしても、それはきっと絵とは呼べない。

 考えていると腹が減ってきた。コンビニで買ってきた弁当を温める。500Wで2分。取り出して食べていると、なんだか蒸し暑い。エアコンのリモコンを手に取る。ああ。声になるかどうかくらいの音を出したものの、そのままスイッチを押す。ピッ、音がして羽根が上がる。1秒後、ちりちりぼんの臭いがした。結局確認は取れていないけど、それはちりちりぼんの臭いだった。理由はないけど、そう確信できた。

 “ちりちりぼん”、“ちりちりぼん”。呼びかけると、ちりちりぼんはふあっと笑った。

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