不可越夜

 彼女は何事にも謙虚で、自信がないということにだけいつも十分な自信をもっている。そんな女だった。誰かに好かれる自信もなければ、嫌われてしまえる自信もない。僕を愛する自信も、僕に愛される自信もないままに、僕と付き合って、体を重ねた。彼女が必ず服を自分で脱いでから始めるのは、脱がされる自信がなかったからなのか、自分の体には自信があったからなのか、どちらなのだろうか。服を脱いでいるときの彼女の背中は、他の何よりも、僕の体を疼かせた。その瞬間に立ち会えるだけで、あの頃の僕は生きている価値のようなものを感じられた。だから彼女があの日、服を纏ったまんまの姿で、身を委ねてきたときには、どうすればいいのかよくわからなかった。僕にもう飽きてしまったのかとか、嫌いになったのかとか、脱がされることをどこかで覚えてしまったのかとか、色んなことを考えた。考えながら、自覚するよりも先に、彼女に失望してしまった。でも、その日以降、何度も彼女のことを思い出す中で、僕は彼女を愛していたのだと知った。飲み屋のおねぇちゃんに酔っ払って彼女の話をしたときに、「やっと心を許したのにね」と言われたことも、忘れられなかった。

 服を纏った彼女の価値に、僕は気づこうとしなかった。こんなにちゃんと好きだったのに、触れているうちはわからなかった。僕が服を剥がすということの意味にさえ、ちゃんと気づいてあげられなかった。愛想を尽かされた。ただそれだけのことだ。ただそれだけのことだから、ただそれだけ分、しっかりと悲しい。

 あの夜から半年ほどが過ぎた。僕は定期的に都合のいい女を抱いてはいたが、ただ抱くことしかしなかった。僕は行為の度に、女たちの服を脱がせることに興奮して、その後シャワーを浴びる度に、彼女の背中を鏡に映しては彼女を犯していた。そしてそんな自分への嫌悪感を紛らわすために、女の体温を消費した。

 「最後のチャンス」その一言だけのメッセージが、ある日彼女から届いた。僕は、彼女が服を脱ごうとしなかったあの夜みたいに、どうしていいのかわからない気持ちになった。今でも愛している、のかもしれない。だけど、かもしれないなんて言えないし、確信があっても、伝え方はわからなかった。

 とにかく彼女の部屋に向かった。返しそびれていた合鍵を使って家に入ると、彼女は裸を着たまんま、声も出さずに泣いていた。僕は彼女にそっと、シャツを着せた。そのシャツの前のボタンを全部閉めてから、僕は彼女を抱きしめた。やけに甘いボディーソープの匂いを纏ったまんま、彼女のことを抱きしめた。「私なんかのところに来るなんて」そう言って、彼女は、今度は声を出して泣いた。子どもの頃に毎日のように見ていた、妹の泣き顔を思い出した。なんだかよくわからないけれど、彼女が愛おしくて堪らないと思った。だから彼女のシャツのボタンに手をかけた。それを脱がそうとすると、彼女は強く僕を打った。悪い気持ちはしなかった。彼女は、何度も、何度も、何度も、僕のことを殴った。

こういうプレイも悪くないなと笑う僕の汚い首元と、彼女のやけに長い爪。痛みも快楽になってしまったら、痕は消えて失くなるらしい。「ああ、しゃぼんだまみたいだな」意味なんてない。意味なんて、ない。

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