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ついばみ

    真っ赤な太陽がこちらをみている。ああ私はどうしてこうも、女という運命から逃れられないのだろう。女というか雌というか、そういう感じ。いつも私を不自由にするのはこの体と衝動だった。何かの分野に興味を持って本を読んでも内容は全然頭に入らない。それなのに抱かれた男の話していたことは、興味がなくても覚えている。抱かれた男のことはすぐに忘れてしまうのに、その罪滅ぼしみたいに。

私の心は子どもなんて産みたくなくても、私の体はどうしても産みたいのだろう。だからどうしようもなく不安になって、他人の体温を求めるのだろう。こうやって分析しながら、今日も薬を飲む。明日抱かれるどうでもいい男の子どもを身籠らないための薬。私を守って、空しくしてくれるお薬。

    男が女を抱く理由も、女が男に抱かれる理由も、似たようなものなのだと思う。種の保存を本能は望んでいる。私は私の本能と対話をして、気持ちが悪くなる。自分でぐるぐる回したコーヒーカップに乗っているときのほろ酔いみたいに。私は私にとっては尊くていい女だけど、男たちにとってはそうではない。夜に消費されて昼には忘れ去られてしまう。だから昼に眠る。そうしたらまた夜が来てくれるから。自分に性的な価値しか見出せない訳ではない。楽だから目を逸らしている訳でもない。ただ男を見下して男に見下されるために、何度も夜を繰り返すのだ。

    ホテルを出て朝日をみながら歩く。やっと一人になれたと安心する。電車に乗ると眠そうな人が座っている。家に帰るとまた一人になる。やっと安心して眠る。私は世界に、朝が夜になって、夜が朝になる魔法をかけた。だから寂しくなんてない。愛とか恋とかよりもずっと、大事なことがこの部屋にはある。生きていくこと。それだけだ。死なないついでに生きるのではない。生きるついでに死なないのだ。どうせいつかは死ぬのだから、死んでいたって仕方がない。


    世の中は多くの不条理とその他の何かしらでできている。血を止める薬の副作用の出血が前者で、後者は例えば、どこかの老婆に結婚の必然性を説かれることだ。私は反発しないし、かといって納得もしない。返すのは曖昧さだけという邪悪な素直さをみせる。昔からそうしてきた。こうやって強がって暮らしてきた。

西と東で異なる文化、代わり映えしないインスタントメンズ。関西弁をひけらかす男は自己中心的なのに自信がなくて、すぐに胸を揉みたがる。酷くつまらないけど単純で扱いやすい。プライドの高いだけの男はクソみたいで可愛い。

    夜に一人になったら、私はいつも踊る。夜か私が飽きるまでずっと。そうしたら交じり合える気がした。夜と触れ合えるような気がした。私の裸体をよく見知っていていつもどこかでみているのが夜。私はいつだって夜に焦がれている。歪なダンスはこの部屋を狭くする。夜が広くした部屋を身の丈に合った広さに変える。だから私は私を愛することができる。また朝が来ることだって、なんとか許すことができる。一人の楽しさと無意味が沁みて、梅雨さえそのうちには明ける。

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