性愛実験

 上下セットの下着をつけたその上に、透けないように黒いシャツを重ねてからブラウスを着る。そんな、女特有の装いをしているより、下着をつけずに出掛けた方が、女であることを実感できるから不思議だ。グラビアアイドルだって、撮影の日には下着をつけずに出勤するらしいもの。自分には関係のないような言い訳を、心の中で唱える。ただ草臥れた、三軍に落ちた私服という名の部屋着で、最寄りのコンビニに行って、おにぎりと水を買う。レジで、マスクとフィルム越しに肉まんを頼む。それだけの行為でも、自分の性を感じられる。何かをしたことによって齎された感覚ではなく、ただ、下着をつけていないというだけで、私の世界は変わってしまう。

 私の尿路感染を、膀胱炎を防いでいるのかもしれなかったただの一枚の布切れ。私の自由を奪っていたのかもしれない、布、レース、飾りリボン、パット。もし明日下着をつけずに出勤したら、私はどうなってしまうのだろう。そんなことを考えるだけで、私はこれまでにとったどれだけ恥ずかしい体勢を思い出すよりも、頬を上気させることができるのだった。

 下着に、常識に、守られて生きてきた。ずっとそう思い込んでいた。でも今やっと核心に触れられた。私が守っていたのだ。下着をつけるという常識を。何の疑いをもつこともなく。

女であるためにつけていたはずの可愛い上下セットの下着。私を社会的動物にしていた布切れ。明日もどうせまた身につけて、夜になるとどうせまた脱ぎ捨てるブラジャーとショーツ。それとも夜に下着を脱がずに、シャワーを浴びたら、世界の色は変わるのかしら。

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