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for who?

 歳を取るということは、ほくろの数が増えるということだ。いつの間にか、自分の知らない自分の部分が増えていく。もしかしたらいずれ、自覚していない部分のほうが多くなるのかもしれない。そういうものなのだ。それは不安なことだけど悪いことばかりではなくて、誰かに何かを託せるということには、それなりの価値がある。少なくとも、私は他人に生活を託されて嬉しかった。

 歳を取ることは怖い。まるで自分が自分でなくなっていくようだ。話に聞いていたみたいに悟りを開けたりすべてを諦めてしまえたりすることはなくて、不満足が怠惰に続く。過去に馳せた分だけ未来に期待して、それも無理だと思う度に頬の奥が軋む。痛いとも痒いとも言えない、その軋みは、やがて全体に広まって私たちを飲み込んでしまう。それでも私たちは笑っていなければいけない。

 相変わらず分からないことばかりだ。書いている文章さえも分別できない。情けないけれど、それは不勉強のせいでもないから、どうしようもない。物語と、現実の境が分からない。それでも生きていくのだから、もう、それらが逆転してしまったって仕方がない。夢と現実と、夢想する世界。それらに明確な違いなんてあるのだろうか。あればいいと思う。私の期待はすべて幻想で、叶うはずのない夢物語ならいい。それならこの気苦労も、少しは呼吸になれるから。

 現実が厳しいのは、夢を捨てきれないからだ。なりたい自分を説明もできないのに、なりたい自分になりたいと思う。毎日思う。それをどこかで幸福だとすら思う。でもなれるとも思わない。実体のないそんな怪物に、なれるとも思わない。

    好きは嫌いで、嫌いは好きだ。そんな曖昧を歌ったラヴ・ソングに、錯覚して共感を謳う暇があれば、私だけの物語を、ここに残せるはずだった。

 なんてね。愛してるから、大嫌い。

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