三つ子の魂を抜く女

 「三つ子の魂百まで。って、この高齢社会にそぐわないと思わない?」

彼女の問いかけに、ああまたかと、内心面倒に思いながらも適当に相槌を打つ。

「だって、百歳まで生きる人だって、沢山いるじゃない?」

疑問形で投げかけるのは女の常套手段で、それなのにこっちが何かを訊ねると大抵の場合嫌がった。

「百まで生きてこそ成り立つんじゃない?」

女の面倒な話ほど、付き合っておかなければならないのは、そうしないと後々に大面倒が襲いかかるからだ。彼女はこちらを一瞥して、つまらなさそうな顔をした。腰掛けたベッドからはみ出した肉付きのいい脚をジタバタさせて、またも不服そうな目でこちらを見据える。

「君はどうして、三つ子の魂百までが、不完全だと思ったの?」

興味はない。そしてまた冗談を弾ませて満足することもわかっている。それでも男はいつだって女に勝てないという経験則が、僕を無難な回答へとエスコートする。

「だって百歳まで生きて、それで、魂が抜けちゃうなら、話にならないじゃない。残った体が可哀想。去年死んじゃったウチのおばあちゃんだって、80代でボケちゃってたけど。だけど、いつ会っても優しい顔つきで。心をなくしたような不安な顔をしていたって、それでもいつだって、おばあちゃんの魂は綺麗に燃え続けていたわ。それなのに三つ子ってだけで魂を百で抜かれちゃうなんてあんまり。そんなの、死んじゃって肉体を失うことよりも余程悲しい。私たち、三つ子じゃなくてよかった。正直、そうも思うわ。」

飽きれるにも至らない彼女の冗談は、見飽きた夏の風物詩みたいで、春になると急に、待ち遠しくなるから困る。

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