あたしごと

    ねこ屋敷と近所で呼ばれていた妙な家に、実際には猫は一匹もいなかった。猫がいなければその家はねこ屋敷ではなくなるどころか、屋敷でさえなくなった。そして妙でもなくなった。

その家には、オバサンとダニエルが住んでいる。オバサンは、皆がオバサンと呼んでいるだけで本当はおばあさんで、ダニエルは本当はしげおという名前らしい。あの家は、なんだかデタラメだ。あたしの家には、お父さんとお母さんがいて、お兄ちゃんもいた。お兄ちゃんは結婚して家から出たけど、県内で奥さんと一緒に暮らしている。あたしの家は、そんな普通のお家だ。屋敷になったこともなければ、オバサンおばあさんも、ダニエルしげおもいない。普通であることが一番と、お友だちのけいちゃんは言っていたけど、それなら二番はなんなのだろう。

あたしは時々、色々なことが色々とわからなくなる。ようちゃんは、あたしのそういうところがへんてこりんなんだと、いつかあたしに言った。ようちゃんは、あたしが昔一番仲の良かったお友だちで、今一番仲の悪いお友だちだ。一番とか言って、二番が思い出せない不甲斐なさも、一番仲の悪いのにお友だちと呼ぶ意味も、お友だちという言葉の意味も、あたしは知らない。あたしは、知らないことばかりだ。しげおがダニエルになった理由も、しげおが本当にしげおなのかも、それともダニエルなのかも、あたしは知らない。確かめていないから知らなくて、確かめかたが分からないから、知られないまんまだ。お兄ちゃんが本当はどこで何をしているのかも、奥さんが存在するのかも、不確かだ。

考えていると、分からなくなる。お父さんとお母さんが本当に家にちゃんといるのかとか、彼らが果たして普通なのかとか、全部。分からなくなって、不安になって、その次にどうでもよくなって、自分しか信じられなくなって、自分のことも信じられなくなった。思い出せるのはブサイクだったようちゃんの笑顔で、思い出せないのは普通が一番だといったお友だちの可愛かった顔だ。

    ねこ屋敷、ダニエル、オバサン。家、しげお、おばあさん。あたし、お父さん、お母さん。あたし、お友だち、お友だち。あたし、お兄ちゃん、お兄ちゃんの妻。どれがどれでどこまでが本当で、誰が嘘つきで、誰のことが大嫌いか、消えて、忘れて、分からなくなった。あたしはあたしがあたしであるだけで精一杯だから、なにもかもぐちゃぐちゃでもどうでもよくなった。覚えているのはようちゃんの笑顔だけだった。かつては一番仲の良かった、あのブサイクで、今一番仲の悪いお友だちの、あの笑顔ばかりがこびりついている。明日こそは雨が降るといいなぁ。雨はあたしを溶かしてくれるから。

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