ロックバンドの配信ライブをみて

 配信ライブという言葉をしばしば耳にするようになった。一言に配信ライブと言っても、お笑いライブや、アイドルのライブ、加えて音楽フェスまで、その幅は広い。
例のウイルスの社会的な影響で、有観客でのライブが実質不可能になったエンタメ業界の、苦肉の策として拡まった配信ライブは、今後のエンタメ業界をどう変えていくのだろうか。

配信ライブとよく聞くようになった初めごろは、無料のものも多かったが、ここ最近は有料の配信ライブが多い印象だ。最初は、その価値を提起する意味もあり、無料であったり、システムの模索のために無料であったりと、その理由は様々だろう。とにかく、配信であろうと価値のあるものなら、相応の対価を払うのは当然のことである。

 配信ライブをみた日に感想でも書こうかと思っていたのだが、なんだか筆が進まなかった。なんというか、特記すべきことがなかったのだ。演出や選曲など、語られる項目もあると思うのだが。パフォーマンスの妙さえも、ただ、いつものことでしかない。ライブを生でみるのと、配信でみるのとでは、音楽体験としてどれほど違うのか。それもよくわからない。

環境が変われば、感情も変わる。私が思ったのは、互いに悪くはないなということだった。寝転んだり、立ったり、手を叩いて笑ったりしながら家でみるライブも、ライブハウスという空間で浴びる音や、眩しい照明に照らされるステージも、両者それぞれに、それぞれの価値がある。今悔やむべきなのは、そのどちらに触れたいのかを、自分では選べない点くらいである。配信ライブが実現したことで、今後の、我々リスナーの選択肢は増えたのかもしれない。そうであると面白いなというただの希望でもあるけれど。

 配信ライブは、果たしてライブなのか。そう考えたりもしていたが、何より喜ばしいことに、配信ライブも、ライブだった。そのことだけは強く実感した。ナマなのかという部分がグレーだとしても、紛れもない、生そのものなのである。それは、全く環境が違う、有観客ライブと配信ライブの、大きな共通点である。演者のミスをみられるとか、修正が入っていないとか、そういうことを言いたいのではない。ただ、こんな状況下でも、ロックバンドは生きていて、自分たちの音楽を鳴らしている。そして、音楽は死なない。私が聴きたいと願っただけで、好きな曲は鳴ってくれる。そんな当たり前のことに気がつけて、嬉しいと思った。多くの人にとって、現状、音楽ライブというのは、非日常的な空間や時間である。しかし、多くの人にとって、音楽自体は身近な存在だ。

音楽体験は日常と繋がっている。それに気がつけるだけで、音楽が、好きな曲が、それまで以上の価値になるのかもしれない。いつか、ライブで初めてみたロックバンドに惚れ込んでしまったときのように、この部屋のなかにもそんな衝動が転がりこんでしまうのなら、それはとても愉快なことだ。
結論、配信ライブも悪くはない。それに意味がなくても、そこに価値さえあれば。

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