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 流行が行動の所以になり得た年頃はとうに過ぎた。自分のやることには意味や価値がなければいけなくなったから、人を好きになることも何かを追いかけるようなこともできなくなった。ハウスダストアレルギーの症状が出るのを防ぐために、家を綺麗に保つ。清潔なだけのこの部屋で邪魔になっているのは憂鬱や喜怒哀楽。意味のなくて薄汚れた僕の感情だけだ。

有意義な暮らしのために、しょうもない思考を回路させ続ける。一番無駄なそんな自分は、どこにだって捨てることができない。分別できずに最後の最後までここに残り続ける。辛いと感じてからが始まりで、寂しいと思っているうちはまだ温かい。ここから温度が消えるまではなくならない。

 それなのに、存在の理由なんてわかる前に消える。色々なことを知って、色々なことを受け入れて、死んだほうがよかった自分が今日も生きているということを誇りに思わなければならない。

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